モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

前に進んでいるものには不安は訪れないという自転車理論について

夜勤明けで残業だった。

最近、5chの介護福祉版を眺めている。そこには自分のような人たちとか、自分よりもひどい環境で働いている人とか、それはちょっと甘すぎっしょって言いたくなる人とか一杯いていい。何がいいって孤独じゃなくなることだ。20人近い利用者様たちはみんな寝ているし、ソロ夜勤だから基本的に話せる人はいない(となりの棟にはいる)、そんな孤独をいやすのにいにしえのインターネッツ掲示板はすでに人の温かみすら感じてしまう。

なんでこの仕事をやっているんだろう?とおもう。やりたい介護はない、理想の介護もない、ノービジョンで飛び込んで、結婚もできたし目的は達成された。あとは嫁のために生きていけばそれでいい。なんで、なんでなんだろう?

15秒ほど考えて答えが出た。俺は老後が怖いのだ。働けなくなったとき、それまで年金とか貯金とかをさぼっていたツケがやってくる。切腹でもすればいいと思っていたが、そんな勇気はない。じゃあ、さきに老後ってやつを見てこよう。それが介護で働く理由だ。

それから2年半が過ぎた。仕事はキツいが、不安はない。そして、老後とはとても面白いものだった。脳が委縮したり、機能が衰えたり、すなわち認知症が進行していくのは苦痛と不安の塊だと思っていたが違う。もちろん、苦痛や不安はある。でもそれは生きている限り必ず付きまとうレベルのやつだ。労働のキツさとかと大した変わりはないように見える。あくまで人は、その人らしく、老いていく。不安に脳がやられているのは、その人の選択や宿業の結果なんじゃないだろうか。生にしがみつかず、老いに向かって進んでいる人に不安は訪れない。常に心に死を。誰だってそうだろ。

生きている限りは死が訪れる。それを見ないで生き続けるのは苦だ。進め進め。死に向かって進め。ココロは自転車と同じだ。止まれば倒れる。走れば安定する。飛び交う銃弾の中でしか生を感じることはできない。100kmを超えないと心臓がビートしない。滝におびえながらでなければ川を下ることはできない。心臓を差し出さなければ、命の重さをはかることはできない。

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小説を書きました。できれば読んでいただけると嬉しいです。

kakuyomu.jp

キャラクター名は適当につけています。記憶にあった読みやすい名前を。だから旅人の名前じゃないですよ。いま、なにしてるのかな、彼。