モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

小説を書いてカクヨム賞に応募した

小説を書くのを趣味にしている。

なぜ、そんなことをしているのか説明は難しい。いろんな理由があるからだ。だた1つ挙げるとするならば、大好きな小説の劣化コピーでもいいから読みたいという熱。その熱によって書いている。大好きな小説は、その1作しかない。大好きな小説からしか得られない栄養がある。その作品を何度も繰り返し読むのも苦痛なのだ。苦痛だが、その作品からしか得られないエネルギーがある。おなかがすいて死にそうなときにラーメンが出てきても「あ、いまラーメンの気分じゃないからいいっす」とは言わないだろう。

kakuyomu.jp

今日、ひさしぶりに同期の人と会った。年も近く、同じ研修で知り合い、すぐに仲良くなった。最近どうしてる?と聞いたら、かなりの重病にかかってしまったとのことだ。「薬が1つぶ9000円もするんだ」と笑っていた。高額医療の上限があるとはいえ、マジでえぐすぎる。だから「えぐいね」と俺も笑った。

 

帯広旅行に行ってきた

なんか嫁と休みが会ったので「帯広いこっか」と旅行してきた。夜勤明け。1時間ぐらい寝て9時ごろ出発。狩勝を超え、新得町でランチ。新得といえばそば、そばといえば新得

 

そば工場の横にあるそばレストランで引き立てのそばを食う。「あっ、ああ~!」と俺は鳴いた。こうゆうそばをずっと探して、いろんな蕎麦屋に突撃してきたのだ。突撃したけどだいたい玉砕して「まあ、やっぱり、ほんとうに食いたいそばってないんかもしれないな」と達観してあきらめて、それでも蕎麦屋がよいの習慣だけが残って「まあ、腹減ったし」という理由で食ったのがこんな魂に響くそばってのが、ジ・ライフ、ってかマイベストそばレストランだったって話。

そっから十勝清水町の郷土資料館に行く。図書館併設タイプ。こうゆうタイプは安心できる。なぜなら、職員がいるからだ。

郷土資料館ファンとしてはひさしぶりの活動だ。気合が入るぜ。なんつったって、ご近所の郷土資料館はだいたい行きつくしてしまったからね。こうゆう知らん町の歴史を知るのって、1008の煩悩のどれか1つだと思う。きっとそうに違いない。

 

おされな建物

 

こーゆう写真でテンション上がるかどうかで郷土資料館を楽しめる才能があるのかが決定します。おれはブチあがった。

 

ブチあがった俺(右)

図書館で「ほしい人がいたら持ってって!」という本をもらい(町田康となんかしらんやつ)帯広に向かう。15時前に到着。ホテルのチェックインまでスーパーで時間をつぶした。

 

 

ハピオ、天井が超高いスーパー。帯広らしく(正確には木場という町)乳製品コーナーが超充実していて、そこで買った飲むヨーグルトが「菌!」っていう味がして、これはこのヨーグルトにはまって移住した人もおるんでしょうなあ、って思った。重いながら帯広駅前のドーミーインに向かった。

帯広の飲み屋は実にコンパクトに集中していて、屋台を歩くだけでも面白い。このしきいの低さ、バリエーションの豊富さは驚愕。最初に肉とか串の店に入り、プレミアムモルツをきれいにサーブしてくれる腕と労力に驚嘆。そのあと斜め向かいのすし屋で日本酒を飲みながらほろほろとした時間を過ごし、最後は客のいないスポーツバーでシメた。

だが、つづきがある。ドーミーインの名物「夜泣きそば」を食ってみたい。すでに胃袋はパンパンだが、がんばってくった。うまい。無料。まじか。

 

次の日はやっぱり体が重くて、温泉につかったり、朝食で豚丼を食ったりする。ぎりぎりの10時までだらけて、特に目標もないので「ビート博物館」に行ってみようとなる。

ビート博物館。

これほど、近代の十勝平野を開拓するリアリティを感じることができる施設はない。

さとうは人間のエネルギーだ。さとうを愛せよ。ビート!

 

ビート1株からこんなに砂糖がとれるっておされな展示。

大好き「太めに育てて!」って・・・・おまえさん・・・

 

やってみた

館長の熱の入った解説も最高だった。ドローンを駆使した動画はとても見やすかった。これで300円は安い。今後の人生ですずらんマークの砂糖を見たときに、ここのことを思い出すだろう。

 

 

 

ジオラマもいい。なんかいい写真が取れた気がする。

あとはいつもの有楽町でジンギスカンを食って終了。いい旅行でした。

ゲゲゲの鬼太郎誕生に泣かされる

映画で泣くのは超久しぶり

www.kitaro-tanjo.com

最近「恐怖ってなんだろう?」と考えている。なんでそんなことを考えているのかというと、小説のエッセンスになると思ったからだ。なにもホラーではなくてもいい、ミステリーでもノンジャンルでもいい。恐怖、は人間の根源的な好奇心をあおるものだと思うのだ。恐怖。たとえばキャラがいる、そのキャラはどこか現実にいそうな感じがするが、どことなく違和感を感じる。みたことあるけど、みたことがない人。そんなキャラがとある出来事に対して、奇抜なふるまいを始める。恐怖だ。それは主人公にも害をなす。

おそらく恐怖とは、未来に害をあたえてくると予想されるイメージ。爆発するかもしれない爆弾。呪ってくるかもしれない引きこもりの女。ひき殺してくるかもしれない認知症の高齢者。不当逮捕してくるかもしれないガンギマリの警察官。新種のウイルスを持つ突然変異の蚊。そんなイメージが恐怖をもって現れる。

思えば恐怖に向かっていく人生だった。未来とは恐怖そのものだった。できるはずのない保険の営業。成り立つはずもない自営業。そして老後と死。

恐怖はイメージでしかない。頭の中で膨らんだ幻想なのだ。その証拠に、実際の恐怖と肌感覚で触れ合った瞬間、恐怖の対象を理解したその時。恐怖はあっさりと消える。そのあっけなさときたら、笑えるレベルなのだ。

鬼太郎って子供の時はおしっこちびるぐらいおっかない漫画だったけど、ゲームとか妖怪バトルとかでなんかいっつもそんざいしていて、大人になったら水木しげるの人生哲学とかに感動して、そしていま映画になって公開されている。すんげーコンテンツだとおもう。

その映画を、俺はLサイズのアイスコーヒーを飲みながら、映画館でみた。大人だから恐怖は感じなかった。もうあの時のイメージはない。見慣れた水木しげるタッチの絵。どこかコミカルな妖怪たち。ハハハ、全く怖くない。。

だが、話が進むにつれて本当に怖いのは人間である。ということに気づく。妖怪とかいうピュアな存在よりも、人間の恐ろしさたるやおちっこちびるレベル。実際にトイレにいかざるをえなかった。Lサイズのアイスコーヒーのせいだと思いたい。

そして物語がクライマックスで泣いた。こんなクソみたいな人間社会でも、子供が生まれてくるんだからちょっとでもマシなものにしたい。水木しげるテイストあふれるセリフだった。

やる気スイッチは前頭葉にある

「私はマモー!」

ときたら「ミモー!」って叫びたくなるのは中年のあかし。っつーことで「ルパン三世」のルパン対複製人間を見た。5回目ぐらい。この作品にはダンディなルパンのすべてが詰まっている。エンディングのルパン音頭以外は最高のエンタメだ。なによりも好きな部分が

「俺は複製人間かもしれない」って自分のアイデンティティにルパンが迷うんだけど、「え?じゃあ記憶とか連続した意識とかコピー先にも引き継がれるの?」って視聴者がぼんやりと考えさせられるってところだ。哲学的なエッセンスだと思う。自分が自分を認識できているのは、脳に詰まった記憶と意識なのに、この作品ではコピーがそれをもっているというところ。つまりは

お前は何者なのだ?

とルパンを通して語りかけてくるのだ。あとフジコちゃんのビーチクがミサイルのボタンと連動しているのがとても好き。当然だ。フジコちゃんのビーチクにはそれぐらいの破壊力がある。

***

勉強をしている。

脳の構造。前頭葉とか側頭葉の役割。

前頭葉の役割の一つに「行動」というものがある。

なにか行動を起こすときは、前頭葉が働いている。

つまりはやる気スイッチといえるだろう。

ダルい、なにもしたくないけど、なにかしたい。

というときは前頭葉にキアイを入れてみてはいかがだろうか。

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夜勤だった。

体調を崩している利用者さんがいて、時間がかかる。

なるべくなんとかしてあげたいが、介護者のできることなど限られていて、せいぜい医療につなげることぐらいのだけれど、仮にいま緊急搬送をして病院に行っても、なんせまあ・・・なにもできないんだろう、医療にだって限界はある、という状態。

無力感に際悩まされるが、いつまでもそばにいるわけにはいかない。ほっといたらほかの人の前頭葉の謎スイッチが入り、ふらふらと歩きだしたり、そこらへんに汚物がころがったりしてしまうからだ。

それにその人の性格的なところもあり、とても疲労してしまう。仕事が終わっても頭の中からしっとりと疲れが残っている。家に帰り酒を飲み、風呂に入ってもそれは続く。

少し寝て、ゲームをして、嫁と居酒屋に行き、なんか動画をみて、またゲームをして、いまブログを書いている。なんとか消化できてきた。

つまりはこうゆうことなのだろう

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人生脚本という考え方がある。それはざっくばらんにいうと「子供のころに最初に身に着けてしまった勝ちパターンからは生涯捨てることができない」というもの。

その勝ちパターンからは逃げられない。その行動によって人生が決まってしまうj。運命、といってもいいだろう。

100年近く生きていても、それを持ち続けている。あの人のはたぶん泣き落としだ。泣き落としや自己憐憫が必殺技の人と近くにいると疲れる。