
1泊500円の宿を、10年ほどやっていました。
宿を始める前の私は、実家暮らしの郵便局員でした。5年間勤めましたが、保険がどうしても売れず、28歳で退職。その後、兄のもとで居酒屋とライダーハウスの修業を始めました。
貯金はあまりなく、店の売り上げもほとんどありません。ただ、生きていくための経費がかからないことだけが救いでした。
宿は、住んでいるところがそのまま仕事場です。本当は生活空間と分けなくてはいけないのでしょうが、そんなものは建前にすぎません。
私は押し入れに布団をねじ込んで寝ていました。
やってみると、これが超快適でした。出勤時間は0分です。
前日まで一緒に飲んでいたお客さんを見送り、昼の仕事へ行く。時間になったら戻ってきて、居酒屋を開ける。そんな毎日でした。
居酒屋とライダーハウスは一人で任されていたので、気楽なものでした。ワンオペですが、それで十分。カウンターに座ったお客さんとのトークで、なんとか店を回していました。
料理は、怒られながらなんとか覚えました。
忙しそうに見えるかもしれませんが、実際はそれほどでもありません。仕事のほとんどは待機時間でした。
その待機時間に、私はヤフオクでいろいろなものを売ってしのいでいました。
古着、日本酒、小物、ブランド品。何でもかんでも売りました。ネットで仕入れられるものは仕入れ、海外オークションで古着を落札したこともあります。
ある日、俵のように圧縮された古着の塊が届きました。開封した瞬間、古着が爆発。部屋中が服で埋め尽くされました。
1枚あたりの原価は数十円です。それでもブランドものが入っていれば、数千円で売れました。当時は古着ブームだったので、結構売れたのです。
イエローコーンのメッシュジャケットなんて、あっけないほど簡単に売れました。父の日には地酒を仕入れ、「直売所限定です」と書けば売れました。
「言葉がお金になっている?」
そんな感覚が、少しずつ体に入ってきました。
お酒を仕入れ、その味わいをメニューの文章で表現する。カウンターに座った人には声をかけ、その魅力を伝える。
ヤフオクでは、商品の価値を言葉にする。古着なら着こなしを提案し、ブランド品ならブランドそのものの価値を説明する。
言葉は、売れるのです。
兄のもとで3年ほど修業し、独立しました。
貯金はそろそろ底が見えていましたが、それほど不安はありませんでした。お金がなくなればアルバイトをすればいい。ヤフオクで稼いでもいい。寝る場所なんて、押し入れがあれば十分です。
実際、居酒屋の椅子で寝ることもよくありました。
独立した居酒屋で最初に売れたのは、チャーハンでした。
残り物や、その日の特売品をぶち込んで作り、メニューには「マズイです」と書きました。
その名も、
「大将の気まぐれ風あばれチャーハン」
幸い、ライダーハウスと居酒屋は、なんとか軌道に乗りました。冬のアルバイトにも行かなくなりました。
その代わり、一年中、文章を書く仕事を始めました。
Webライターです。
Googleの気まぐれによって生まれたようなこの仕事に、私は熱中しました。SEOを学び、検索上位に表示される文章の書き方を身につけました。
ライターとして一番評価されたのは、裁判傍聴の記事でした。
趣味で始めた裁判傍聴を、文章に変えて納品していました。書いた記事がまとめサイトに取り上げられたこともあり、うれしかったのを覚えています。
裁判を傍聴すると、書きたいことがマグマのように噴き出します。
しかし、それをそのまま書くわけにはいきません。個人を特定できるような情報を書いてしまい、怒られたこともありました。
それでも書きたい。
そこで思いついたのが、フィクションの世界に吐き出すことでした。
小説です。
全部が嘘なのだから、やりたい放題です。それでいて、妙にリアルな感触のある嘘を書けるのではないかと思いました。
しかし、小説の書き方なんて知りません。
適当に書き殴ることはできても、それをつながりのある物語にするのは、とても難しく、根気のいる作業でした。
小説を書くにはエネルギーがいります。
それでも、Webライティングよりはマシでした。
Webライターは、自分がまったく知らない世界の、よくわからないことを、見ず知らずの人に向けて解説します。
クライアントに直接納品できれば、まだいいのです。間にディレクターが入ると、地獄が始まります。
「よくわからないけど、書き直して」
3日間かけて磨き上げた自信作が、そんなひと言で突き返されます。
「何を言っているのかわからない」
私にもわかりません。
でも、ほかのサイトを参考にしたら、こうなったんです。
それでも続けていれば、良いクライアントに出会えました。少しずつ信用も積み重なっていきます。2年、3年と続けるうちに、Webライティングは比較的安定した副業になりました。
ただ、ずっと疑問がありました。
Googleは、いつまでこんなことを続けるのだろう。
質の良い情報をできるだけネットに集めることで、検索サービスの質は向上したのかもしれません。しかし、いつか限界が来るはずです。
誰が書いたのかもわからない文章を、どこまで信用できるのでしょうか。
これからは「何が書いてあるか」だけでなく、「誰が書いたか」が重要になる。
文章のテクニックだけでは足りません。必要なのは専門性です。
実際、稼いでいるライターは専門分野を持ち、自分にしか書けない文章を書いていました。
ライターを続けながら、やがて居酒屋とライダーハウスは終焉を迎えました。
そして私は、介護の仕事に就きました。
介護ライターになろうと思っていたのです。
ところが、就職してみると、頑張って副業で稼ごうという気持ちは薄れていきました。働いていれば給料がもらえる。それで満足してしまい、ライターの仕事も辞めました。
そして、AIが登場します。
私にはそれが、人間の作った「言葉の神」に見えました。
押し入れで寝ながら宿を営み、居酒屋のカウンターで客と話し、ヤフオクで古着を売り、Googleに気に入られる文章を書いてきました。
そのたびに、言葉がお金に変わる瞬間を見てきました。
今は、この言葉の神を使って何ができるのか、考えています。
お知らせ
このブログは、実体験をもとに、人物や出来事が特定されないよう一部に創作を加えています。
もし楽しんでいただけたなら、長編小説『僕は勉強しかできない』も読んでいただけるとうれしいです。
北海道、旅、裁判傍聴──実体験をベースに描いた青春小説です。
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