モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

カヤックに行ってきた・・1年ぶりに

去年、おれたちはコロナだった。

コロナにすべてを握られ、結局コロナにかからなかったのにコロナにすべてもっていかれた。

今こそ取り返す時だ。たとえ去年よりやばい状況だとしても、もうとりかえさないといけない時なのだ。

ということで職場の人をさそってカヤックに行ってきた。去年まではできなかったイベントである。

1年の時間が空いたので、自分の感覚をとりかえさないといけないし、なにより川の状況を偵察しないとならなかったので、4日前の休日に1人でやってきた。

1人で川下り、つまり帰ってくる方法をなんとかしないといけない。

まず思いついたのは誰かを誘うことだったが、いろんなことがあって結局1人となった。

次に思いついたのは折り畳み自転車だ。

名古屋→東京を漕いだ相棒、はちみつ太郎号のパンクを何とかすればいける!

とおもったが、こちらは数年単位で動かしていない。さびさびだし、パンクも重症だし、自転車屋で新しいのを買ったほうがいいレベルの状態だった。

タクシーに後ろについてきてもらって、スタート地点まで戻るという、いわば金にものを言わしたプラン。タクシー会社に乗り込んで話してみると

「できますが、いま忙しくて」

そう、美瑛町の観光はがっつりばっちり客足が復活してきていて、タクシーもそりゃいそがしわいという状況なのだ。

では最後の手段。歩こう。

すべてをスタート地点に置いて、ゴール地点まで車で行った。そこでランニングシューズに履き替え、スタート地点まで戻る。アップダウンの無い川沿いの道を使えるのがメリットだ。

天気も良かったし、音楽を聴きながら良いさんぽだった。川下りはスタートは緊張したが、結局いつもの川だった。まあ、やや増水していたが。

4日後、移動手段をもたない人だったので、旭川からOさんを呼んだ。お久しぶりです。お元気ですか?50肩ですか、それはそれは今日は地獄ですね。

川は澄んでいて、とても気持ちがよかった。

沈も連発しており、楽しい1日となった。上がったあとは3人で手分けしてカヤックの回収や、買い物や、炭起こし。ジンギスカンの準備だ。

結局かなりの酒が入り、我が家は酒宴となった。嫁は旭川に避難した。Oさんは初めて我が家に泊まる人となった。

10年ぐらい前。一緒にOさんと郵便局で働き、俺は何度もOさんの家にお世話になった。今回やっと1泊返せる。一緒に旅行にもいった親友と呼べる人を、足代わりに呼び出しておいて・・・と思ったがやめた。

足代わりに呼び出せる人、そんなことができるのは親友しかいないのだ。

 

 

ウポポイと赤平炭鉱遺跡に行ってきた

夜勤明け、それもかなり厳しい夜勤明けで、心身ともにぼろぼろの状態からスタートした。GWを満喫してやがる嫁にハンドルを任せて、車の後部座席でドッカンと眠りに落ちた。起きたらウポポイ・・というわけではなく、高速に乗って、ハンドルを交代しつつ、苫小牧についた。「お昼はマルトマあたりで海鮮でしょ!」と漁港脇の施設にin・・・しようと思ったら満車。しかたなく「はま」で寿司。まったく並んでおらず、スムーズで、かつ最高にうまかった。さすが「はま」だ。愛してるよ「はま」。

で、やっと到着。

すんげー建物。圧倒される。中身もオサレの極致よ。

この施設に流れる政治的、経済的な力学を考えながら、職員が演奏するムックリを聞いていると、ウツラウツラ・・・眠りがやってきた。夜勤明けなのだ。

巨大アイヌ施設を後にして、モンエナ決めながら高速で札幌に行く。

札幌着、すすきのへ。予約していたグランド居酒屋富士にいく。お腹いっぱいになってしまい、シメのらーめんが入らない。カラオケにいってみたが、それでも無理。おとなしくホテルに戻って寝た。

次の日の昼に三笠のだるま屋のどろラーメンを食い、たっぷりと塩分を吸収した。そして午後1時からの赤平炭鉱遺跡ツアーに向かう。

ここがすごかった。やはりすごかった。

立坑にぎりぎりまで近づける。立坑とは500mまで掘られた地下へのエレベーターなのである。

500m(本気でやれば1000mまでいけた)の穴。石炭も人間もこの穴を使って地下世界へ向かうのだ。

人間用の乗り物。ぎゅうぎゅうに詰め込んだ4段の鉄の箱。壁はない。これが秒速12mで地下500mまで落ちていく。すごい。

立坑コントロール部分。これが上部のリールとワイヤーでつながって、エレベーターをあげたり下げたりする。

ツアーはそのあと採掘に使われたマシンなどを展示する場所へ。

たまらんよね。じつにたまらん。

いちばんたまらんのは、ツアーガイドの三上さんがリアル炭鉱マンだったひとで、話が面白い面白いってことだ。

kai-hokkaido.com

つまりは三上さんの喉の調子が悪かったりしたら、このたまらん感じは出ないので、今回実によかったなあと思うのであった。

AIにおいしい旭川ラーメンを教えてもらったら全部ウソだった

俺「おいしい旭川ラーメンのお店教えて」

AI「あさひや、めんせん亭、麺屋はまだ、そば」

俺「そば!?」

AI「あさひやは旭川らーめんの元祖」

俺(・・・麺屋あさひのことか?あの店わりと新しいぞ?)

AI「めんせん亭は地元民に愛される人気店」

俺「知らんかった・・・グーグルにも出てこない・・麺屋はまだも聞いたことないし、グーグルでヒットしない・・・」

AI「あとそばだよねー、五右衛門も人気店、並ぶよ?」

俺「ラーメンについて聞いているのに?あと五右衛門は滝川の大衆食堂・・」

 

シンギュラリティはまだ来てなかった。webライターはまだまだ仕事があるぞ!それよりもラーメンについて聞いているのに、蕎麦屋を推してくるこのクリエーション、参考にしたい。

 

***

 

東直巳の「流れる砂」を読んだ

 

おもしれー、生活保護不正受給、保険金殺人、除雪利権、カルト宗教、楽して儲けようとする人間を1本の小説に束ねて描写したような・・うん、すごいなあ。

作者のすごいところはそれぞれめっちゃ調べてかみ砕いてキャラクターに描写させるところだとおもう。そこには体温があって、それは同じ嘘なんだけど、AIのそれとはちょっと違う。

 

***

 

夜勤だった。となりの棟が騒がしかったので聞いてみたら、利用者が興奮してほかの利用者に暴行して怪我をさせてしまったようだ。20人以上を1人でコントロールするのは不可能。まあ、そんなこともある。こっちのほうがよっぽどウソであってほしいけど、そうゆう話ほど本当なんだろう。

 

ウソのような小説を書いている。そこに登場するカルト宗教について妄想。大事なのは共通の認識を利用することだ。日本でカルトといえばオウム。あの村のことをそのまま描写すれば伝わるんだろう。固有名詞を変えるだけのお気楽クリエーション。

が、そうじゃないよな。

きっとそこには開祖の考え方や気持ちやビジネスプランや縁、運、タイミング、時代の流れ、欲、脳細胞のシナプス、服薬した薬の薬効、建立したご本尊、付け加えた神話、創作した神、教義を広めるためのyoutubeチャンネル、ツタヤに平済みされる本、飼っている議員、実は信者だったタレント、暴力部隊、快楽部隊、カリスマティックトッカー、あこがれのインスタグラマー、するどい切り口のツイッタラー、あおり続けるウソウソウソ、1万のフェイクニュースの1つが誰かに着弾したらラッキーだ、大量に廃棄されるごみの中に若者を混ぜてユンボで掘り返した土地に埋めて生えてきた植物に名前を付けましょう。ってストーリーが必要なんだと思う。

そんなオリジナルストーリーが1つだけある。自分だ。

自分が体感したできごとの固有名詞を変えて、そこからカルト宗教を作る自分のストーリーをクリエーションすればいい。固有名詞はAIに候補を出してもらえばOK。だって全部ウソだし。

ユニバース2.0を読んだ

官能小説家だったころ「ブラックホールにおティムティムをつっこむ話」を考えたことがある。チョーきもちいいのではあるまいか?もちろん体ごと蒸発するかもしれないが、きっとチョーきもちいいはずだ。

 

そんな妄想は実は世界中で行われていたようだ。同志よ・・・

実験室で新しい宇宙を創造する物理学者たちの話。物理学の話なのだが、結局のところ神がいるんじゃね?創造主がいるからこんな世界になってんじゃね?という宗教的な世界にまでアプローチする本。

「じゃねーとおかしいじゃん、この世界、人間に都合よすぎっしょ」

「いや、それは無数に宇宙が生まれているからであって、観測者が生まれる条件だったってのがこの宇宙だったってだけだよ」

「ちょっとまって!おれ思うんだけど、宇宙って生まれた瞬間に光のスピードを超えて膨張したとおもうんだよね」

「光を超えるとか!ワロス!」

「ってーか量子もつれって光のスピード超えてるよね?」

「それに棒磁石を半分に切ってもN極S極になるのキモくね?」

「あ、わかった、この世界って量子コンピューターだわ、宇宙つかって計算してる」

「誰がだよww!」

「だからスーパーインテリジェントな宇宙人だよ!」

「いねーよ、そんなの、それよりこの世界は無限のマルチバースが存在してる!」

「でた無限!キモ!だれがそんなの作ったの?神?」

「神からのメッセージが物理法則よ、意識がある我々に向かってメッセージを送ってる」

「その意識ってのがよくわかんねんだわ」

「むずかしくかんがえんなよ、意識なんてそこら中に生まれてるよ、スマホにだって意識は生まれてるよ」

「ってかさーでっけーLHCつくれば宇宙って作れね?したらオレたちって神ってこと?」

というあまり理解しているかわからんがこんな話だった。

そんな話を読んだ後に出勤した。夜勤だった。

認知症が進んだ利用者の中には、健常者とは違う世界が見えているんじゃないか?と思われる人もいる。それはこっちの世界のイメージからどんどん離れていき、かろうじてコミュニケーションがごくたまに行えるぐらいの遠さだ。落ち着かないときは手を握るぐらいしかできることはない。手の温度から「意識」を感じる。この人の意識はどこに向かっていくのだろう?せめてあたたかな光にあふれた場所であってほしいと思った。