研修が終わった。最後のコマで認知症について学んだ。アルツハイマー型以外の認知症についての話が面白く。「我々が頑張らなければいけないのはこちら側だ」ということだった。つまり、ゆっくりと進行していくアルツハイマー型に比べて、脳の重要な部分が収縮していく前頭側頭型やレビー小体型のほうが介護度が高い(手がかかる)し、他の人に危害を加える可能性があるのだ。もちろん、自宅でなんて見てられない。介護する人の人生を簡単に奪ってしまうだろう。だから施設には比較的多くいるように見られる。徘徊、幻視、幻覚、作話、易怒、帰宅願望。ここみたいな施設が必要なのだ。
今日も戦場のように忙しかった。そんな中、認知症のない人を散歩に連れて行った。いそがしさとリスクにおびえて、刺激のない生活をさせてしまったことに懺悔の念があったのだ。といっても10分もかからない隣の建物を散歩するだけ。突き当りまで行って、さあ帰ろうとすると「ちょっとまって」と呼び止められた。「どうしました?」と聞くと、そこにいる人と顔見知りのようで「おい、○○さん」と言っている。しかし、相手は認知が落ちているようでこちらの事を認識できない。「ちょっとわかんないみたいですね」「・・・・・」元の場所に帰る。するとこんなことを言われた。「ココみたいな場所に・・と最初は思っていたけど、やっぱりこんな施設は必要なんだな、わかったよ」と。
この話を帰って連れにすると「わかる」という。彼女は障碍者支援施設、つまり障害のある人の仕事を提供する場所で働いているのだが、そこに「こんな人がいる」と言う話。その人は軽めの障害を持っていて、ずっと健常者の中で生活してきたのだけれど、そりゃ学校では虐められるし、仕事では無能扱い、つらい人生だったろう。だが今はとても良い顔をしているとのことだ。そんな施設が必要だったのだ。
「認知症になることは悲惨な事でしょうか?死という受け入れがたい事実を認識できなくなることは、不幸せな事でしょうか?」研修の最後はこんな言葉で終わった。