モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

もののエッセンスをつかむまで

すべての商売の基本は安く買って高く売ることである。それは労働でもそう。なるべく安い労働力、つまり労働の強度が低い仕事であり、それでいて高い給料をもらうことを目指すべきだ。

10年ほど自営業をやらせていただいたのだけれど、このルールの息苦しさにへきえきしていた。同じところを目指しているのでは優秀な人間には絶対にかなわない。自分よりも目端がきいて、コミュニケーションがうまく、体もきく人間はごまんといるわけであり、彼らと競争する?冗談でしょ?と思って逆の方向を向いた。

高く買って安く売る。その先にあるのは破綻だ。でもこのやり方だと、圧倒的に競争相手は少なく、広々としていた。金もうけのエッセンスからは遠ざかってしまったけれど、経済のエッセンスには近づけた気がした。

金は生きるためのツールに過ぎない。有限である人生を使い切るには、金との付き合い方はほどほどにするべきなのだ。そのことに気付いたとき、とてつもなく自由を感じた。日記。

仕事である。今日は入浴介助。いろいろな組み合わせと段取りの妙により、やったことのない方法でやることになる。AとBというやり方があり、いつもはAでやっていた人にたいしてBでやることになったのだ。「大丈夫ですか?」とベテランに聞いたら「全然大丈夫、むしろ私はBのやり方の方がいいと思う」との事だった。そして実際Bでやってみたら普通にできた。

つまり、安全で気持ちのいい入浴ができるのであればそれでいいのだ。脱がして、洗えて、入れればいい。それがお風呂のエッセンス。体の細胞の隙間にそれが入り込んだ気がして気持ちが良かった。

そのまま、何もなく1日が終われば気持ちがいいのだけれど、そうはいかない。1人のご老人が被害妄想にとりつかれてしまった。それを剥がすために1時間ぐらい話を聴いていた。もちろんヒマではないのだから、他の仕事をなんとか少しずつやりながら、相手の怒りを傾聴する。怒りの質はとんでもないレベルである。どこにこんなエネルギーがあるんだろう?と不思議に思うのだ。怒り、怒り、怒り。この怒りを収めるエッセンスをまだ知らない。人間の根源には、こんな怒りを発露する炉があるのだ。仕事が終わって、家に帰るとぐったりと疲れていた。