テレビを見ていたらかんぽ生命の問題を特集していた。15年前、私はかんぽ生命の販売員だった。つまり保険課外務員。貯金保険課だったので貯金もやったけど、ノルマのほとんどは保険だった。
その時はまだ公務員だったが、公社となり、民営化になる流れはすでにできていて、営業利益への厳しさは凄かった。辞めてから15年以上経過したけど、あれよりもキツい仕事には出会えていない。
なんというか、皆イっていたと思う。仕事への情熱が善悪とか人間性の大切なところを焼き切っていて、保険を募集するマシーンとなっていたのだ。上司も総じてヤバかった。狂っていた。でも一番やばかったのは優績者だ。
テレビではダイヤモンド優績者のことも報道されていた。ダイヤモンド優績者!!たしか、北海道では1人か2人しかいなかったはず。その仕事ぶりは遠く離れた我が局にも聞こえてきていた。一度話を聞いたことがある。「家族の為にやらなければいけないことをヤレ!」と言っていた。
保険のセールスを教えてくれる先生もいて、私は志願して先生の弟子になった。だが、セールスの先生というのはダイヤモンド優績者のちょっと下ぐらいの存在なのだ。彼らがセールスした場所には、ペンペン草すら生えないと言われている。一緒に仕事をして、確かにそうだと感じた。郵便局の信用を激安セールで売りまくってる感じ。
元が農家でガッチガチの農耕民族である私には、彼らの感覚が分からなかった。ここまでやってしまったら、郵便局の信用は地に落ちてしまうのではないか?10年ぐらいは持つかもしれないけど、いつかでっかい社会問題になるのではないかと思っていた。それは正しかった。
郵便局をやめると言った時、母は反対した。郵便局がそんなことをするはずがない!と言うのだ。ムスコの言うことよりも、郵便局の方が信じられる。それは仕方ないのかもしれない。最近、やっとテレビで報道されてあの時のことを信じてくれるようになったと思う。
現在の私は40にもなって期間工で、webライターで、間違いなく貧困している。今日も部屋に帰ってきたら、水が凍っていた。そんな空間で生活している。だけど幸せだ。
ダイヤモンド優績者よりも、自分の方が正しい。郵便局よりも、私の方が正しかった。それがプライドになった。99%が正しいと言っても、自分の方が正しいのなら、それは正しい。例えば資本主義が限界を迎えるなら、その時も自分の頭で考えたことに従うだろう。自分が幸せだと思うことは幸せだ。
自分の正しさを知っている。その正しさに準じている。だから貧困も死も怖くない。私は自分が正しいと思うことに命を使っている。