映画で泣くのは超久しぶり
最近「恐怖ってなんだろう?」と考えている。なんでそんなことを考えているのかというと、小説のエッセンスになると思ったからだ。なにもホラーではなくてもいい、ミステリーでもノンジャンルでもいい。恐怖、は人間の根源的な好奇心をあおるものだと思うのだ。恐怖。たとえばキャラがいる、そのキャラはどこか現実にいそうな感じがするが、どことなく違和感を感じる。みたことあるけど、みたことがない人。そんなキャラがとある出来事に対して、奇抜なふるまいを始める。恐怖だ。それは主人公にも害をなす。
おそらく恐怖とは、未来に害をあたえてくると予想されるイメージ。爆発するかもしれない爆弾。呪ってくるかもしれない引きこもりの女。ひき殺してくるかもしれない認知症の高齢者。不当逮捕してくるかもしれないガンギマリの警察官。新種のウイルスを持つ突然変異の蚊。そんなイメージが恐怖をもって現れる。
思えば恐怖に向かっていく人生だった。未来とは恐怖そのものだった。できるはずのない保険の営業。成り立つはずもない自営業。そして老後と死。
恐怖はイメージでしかない。頭の中で膨らんだ幻想なのだ。その証拠に、実際の恐怖と肌感覚で触れ合った瞬間、恐怖の対象を理解したその時。恐怖はあっさりと消える。そのあっけなさときたら、笑えるレベルなのだ。
鬼太郎って子供の時はおしっこちびるぐらいおっかない漫画だったけど、ゲームとか妖怪バトルとかでなんかいっつもそんざいしていて、大人になったら水木しげるの人生哲学とかに感動して、そしていま映画になって公開されている。すんげーコンテンツだとおもう。
その映画を、俺はLサイズのアイスコーヒーを飲みながら、映画館でみた。大人だから恐怖は感じなかった。もうあの時のイメージはない。見慣れた水木しげるタッチの絵。どこかコミカルな妖怪たち。ハハハ、全く怖くない。。
だが、話が進むにつれて本当に怖いのは人間である。ということに気づく。妖怪とかいうピュアな存在よりも、人間の恐ろしさたるやおちっこちびるレベル。実際にトイレにいかざるをえなかった。Lサイズのアイスコーヒーのせいだと思いたい。
そして物語がクライマックスで泣いた。こんなクソみたいな人間社会でも、子供が生まれてくるんだからちょっとでもマシなものにしたい。水木しげるテイストあふれるセリフだった。