もう10年以上前になります、私は郵便局の保険外交員でした。25歳から飛び込んだ世界は未体験の物ばかりで、人生で最もエネルギーをつぎ込んだと言えます。
なぜこの仕事をしようと思ったのか?それは絶対できないことを出来るようになろうと思ったからです。私にとってそれは飛び込み営業でした。
私はコミュニケーションに問題のある人間です。人とノリを合わせることが苦手です。楽しくなったら突っ走ってしまうので、集団行動は苦手でした。
そんな人間にとって他人とは恐怖の対象です。保険の営業をやるまでまともに目をみて話すこともできませんでした。研修をすべて終えたころにはすこし話せるようになり、一人で営業に出るころには誰とだって話せるようになりました。
それでも最後の関門である飛び込み営業をやる時は大変でした。胃の奥からせせり上がってくる「やりたくない」という気持ちを「仕事だから」という義務感で押し殺します。ピンポンを押す、誰かが出てくる、用件は言えません、だってそんなもの無いのですから。
用件もないのにピンポンを押すのです。そのゴールはもちろん新規契約で、そこまでたどり着けるピンポンは100回に1回あればいい方です。
初めての飛び込み営業から、10年以上経過しました。今でもあの恐怖を思い出すたびに胃の奥から何かがせせり上がってきます。で、この前病院にある文芸春秋に同じようなことが書いてありました。
ビートたけしが「芸人は舞台に立って滑る恐怖を忘れたらおしまい」と語っていました。その気持ちで仕事をすると。なるほどと思いました。
先日納品した記事のリアクションがなかった時です。いつもだったら1日以内に感想をくれるクライアントさんなのですが、今回は情熱を注ぎ過ぎたぶんわかりにくくなってしまったかもしれません。
それでも「これ以上はできない」となるまで書いたものですから、後悔はありません。ただ評価を待つのは恐怖でした。もしかしたら、もうだめかも?という気持ちがふつふつと沸いてきて、叫びだしたくなりました。
舞台の上に立ち、芸をするしかないのです。漫才師なら漫才を、、保険外交員ならセールストークを、ライターなら文章を書くしかありません。
責任はすべて私一人のものです。
結論は3日経過して出ました。普段通り「OKです」ということでした。恐怖はすべて快楽物質に変わり、じわーっとした気持ちよさが込みあがってきました。これ以上気持ちのいいことってあるのでしょうか?私は知りません。
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