モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

祭は突風

5連勤が終わった。

山口のたっちゃんがハーレーでオカマを掘ってしまい、そのとき酒気が検出されたというホッコリニュースに列島が草なぎのツヨシを思い出していた。あの時叫んだ「シンゴー」という声を僕たちは忘れない。たっちゃんだったら「リーダー!」とかだろうか。確かに、城嶋のリーダーがたっちゃんのコールにやってきて「すまんな・・」と言われたら俺だったら許す。長瀬でもゆるすし、松岡でもゆるす。でもなぜかタイチがやってきたら「いや、かんけいないっしょ」と言ってしまうだろう。それはきっとaikoの敵討ちのようなものかもしれない。やったよ、aiko。あと、やっぱり男子ごはんの初期ファンとしては、バイク事故には厳重に注意すべきという意識が働くのかもしれない。

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北海道の内陸部の9月というのは素晴らしく、この時期にしか流れない空気がながれていて気持ちがいい。遠くにある積雲はかろうじて夏の形をしていて、風は暑く、そして涼しい。そんな連休だったので、便つきのシーツとかを片手に持ちながら見上げる空は遠く、蒼かった。「神様、私は地を這う虫です。どうか罰をお与えください」と言うまでもなく、生きていること自体がすでに罰であり、罪なのだ。それでも、去年はまるっと仕事で終わった時期。ライスセンターの片隅で、終わっていくライダーハウスのことを考えて泣いていた。41歳だった。十分に生きたと言えた。ブルースリー太宰治以上の時間、三島由紀夫の時までいくつだろう?(今調べたら45歳だった)

あれから1年。42歳になった。おかれている環境は天地がえしをした羽根つき餃子のように姿を変えた。いや、変えたのだ。自分の意志と運命で。ライダーハウスという立命を完了させて。麦の粉や米の粉に塗布された体は、三島由紀夫と同じぐらいの時代に生まれた人の老廃物や言葉に変わった。泥まみれの巨大クリーナーに潜って高圧洗浄機を振り回していた。それが老人たちの思考や生活に潜るようになる。大変な進歩だとおもう。給料は落ちてしまったが、ライスセンターから頂いたお金で家まで購入できたから問題ない。

ライスセンターで教えてくれたプロテインや、ライスセンターでおしえてくれた中華イヤホンは生活に欠かせない。体は強くなったし、1日12時間労働も2週間ぐらい仕事が続くのも夜勤もぐらぐら揺れる昇降機によじ登るのもできるようになった。それらの財産をベースに、今、新しい期間が始まっていく。

働き始めてもうすぐ4か月。当たり前だけどぼちぼち新しいことを吸収することが少なくなってきた。そもそも覚えるのが遅い。こんなにかかってしまったと言える。積極的に勉強しなければ、おっさんはダメになってしまう。だから勉強できることがあれば貪欲に喰うのだ。職場の共有ファイルに過去の事故例などを発見する。これがとても勉強になるのだ。そりゃ避けようがないというミスから、やってしまいましたなあ・・というミス。報告書からは「これってオレのせいですか?」という叫びが行間から読み取れてしまう。

出世に縁遠いおっさん新入社員の私でも、このようなミスは辛い。いつ爆発するかわからない爆弾がそこら中にあるようなものである。警戒心は心の余裕をなくすし、体力もガリガリと削った。そんな5連出勤の最後に突風が吹く。説明は難しいけれど、いつ爆発するか分からない爆弾が1か所に集中して、赤くなったり黒くなったりのフラッシュに演出が変わり、小刻みに振動するようなものだ。ボンバーマンなら物陰に隠れる。私たちは爆弾どうしの距離をとるしかない。たとえ被ばくしようとも、連鎖だけは絶対に避けなければいけない。そんな危機感を共有した我々のチームワークにより、なんとか臨界点は迎えずに済んだ。いい仕事が出来たと思った。祭の爽快感に近い。