新井英樹の「キーチ!!」を読んだのでその感想文です。
2017年は、この作者との出会いが大きかったです。
「宮本から君へ」には自分を揺さぶられましたし、「Rin」や「シュガー」はボクシング漫画で一番面白いと思います。
この作者の表現はむき出しで、汚いところをこれでもかと書きまくります。おそらく女性には不向きでしょう。(と思っていたら「快感・フレーズ」という作品を知り「なんじゃこりゃ」となったので、男女差はあまりないのかもしれません。)
弱いもの、汚いもの、情けないものをこれでもかと見せられます。それは普段は目をそらしているものだらけ、人は見たいものだけを見る能力を持っています。
例を上げるとするならば、裁判傍聴に通っていた時、障碍者の窃盗事件を傍聴したことがありました。
生まれの不幸から「後天性発達障害」という病気になってしまった被告は、なにかあるとパチンコに逃げます。すぐに障害年金と生活保護を使い切ってしまうので、施設にお金を預けて生活している状態です。
でも、ふとした(ほんと大したことのない人間関係)ことで傷ついてしまい、パチンコに逃げる金がないから窃盗を行いました。でかい病院で金の入ってそうなバッグを盗んで、ATMで暗証番号を適当に打ち込んで金を盗んだのです。
私は初めてガチの社会不適合者を目の前にしました。「けしからん!」と思いませんでした。「たいへんだな」となんとなく思っただけです。もっとキツい裁判を傍聴しても、吐きそうになりましたが怒りは覚えませんでした。
あくまで他人事、余計なことにはクビを突っ込まない。
また、いつも読んでいるブログから
子供を愛せないシングルマザーの話です。
こんな例は履いて捨てるほどあるのでしょう。
「たいへんだなあ」とおもいます。
で、キーチ!!を読んだ後だと
・・・・・・それでいいのか?
と揺さぶられます。
俺たちは、もっと、怒るべきなんじゃないのか?と
大切なのは現状を斜に構えてクールに分析することではなく、心の底からの怒りを全身で表現するべきなんじゃないだろうか?
そうしてこなかったから、怒ることをめんどくさがってきたから、社会不適合者が生まれてきたんじゃないのか?
いや、なんでもそうだ。不正を目の当たりにしたら、人間は怒らなくてはいけない。
社会がロクでもないのなら、それは自分がロクでもないのだ。かといって何ができるわけではない、せめて「キーチ!!」をだれかにオススメするぐらい。
というわけで、「キーチ!!」を読んだら「怒れ!」「怒れ!」とかきたてられます。その怒りはいまのとこ自分に向かっていて、なんだかわからんエネルギーとして脈動してる状況です。
しかたないので仕事してました、いつでもできる仕事って素晴らしい。