5月も中旬なんだけど桜が見ごろなのよ
ここら辺で桜といえば旭川の神楽岡公園なんだけど、桜だけ見て終わるのもねえ?
もうちょっと+ナニカのイベントをくっつけたいなーって探してたら、
桜岡公園という場所を発見したの、旭川より北へちょっといったところにある
剣淵町というところね。
じゃあ、ついでに郷土資料館めぐりもやっちゃえばいいじゃん!
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剣淵に来たのならアルパカは外せない
ひさしぶりだね、パル
3年ぶりだ
剣淵に来たのなら、昼は駅前旅館
セット900円
ココのカレーがとにかく好きなのよ
それに、店が混んでいると旅館の部屋を使わせてもらえるんだけど、
大の字に寝そべってテレビを見ながら休めるのがうれしいじゃない?
そして、この部屋から見た桜がこの日一番というおまけつきだったわ。
これ、すごいおいしい
剣淵に来たのなら、絵本の館
さあ、準備は整った。 いざ、郷土資料館へ行くわよ!
剣淵の郷土資料館は、併設する「 絵本の館 」という施設に利用の申請をしなくてはならないのよ。
「 すいませ~ん、郷土資料館をみたいんですが・・・・ 」
「 あ~13時からでいいですか? 」
ん? よくわからないけど、15分前だったので待つことにしたわ。
鍵を開けるだけだと思うんだけど、何か準備があるのかしらね?
絵本の館をふらついたの
昔読んだ「 からすのパン屋さん 」があって感激したわ!
うわ~、何回も読んだけどこんな話だったのね!
商売のえぐさを厳しさと、はじけたときのてんやわんや感がよく書かれていたのね。
それと、谷川俊太郎せんせいの
「 しんでくれた 」を読んだの。
・・・・・・これ、すごいわ。 買おうかしら?
んなことしてるうちに、あっさりと時間
剣淵の郷土資料館はガイドつき
なぜ?15分待たされたのか?
その答えはすぐにわかったんだけど、
( そして、それはかなりありえないことなんだけど )
剣淵の郷土資料館はガイドが付くのよ。
入館料100円よ!?
もらわないほうがいいレベルのはした金で、余すことなく説明してくれるおねーさんに感謝だわ。
まず、屯田兵舎
いろりがあって良い感じ! 夏ならぜんぜん住めるわ。
そして、本館へ
いこうよ南剣淵校
閉校になった高校の校歌がはってあるわ、ビニールの保護シートがはがれているのが
いい感じ。
昔の家の感じを再現してあるの。
この展示は「 ホウ・・・ 」とうなったわ。
すごい生活感がでていて、こんな良い展示、博物館でも見たことないわね。
馬車の展示。 馬車には馬鈴という鈴が付いていて、音だけでどこの馬車かわかったらしいわ。 エンジン音だけでバイクの車種を当てるようなものね。
そして、こんかい一番のお宝、なんだかわかる?
これは、ワラを縄にする機械
いやーシブい!
そして、ビニール紐がまだない時代は、縄ってかなり重要だったのよね。 石油製品のありがたさが身にしみるわ。
こんなでっかい装置が家にあったら、邪魔臭くてしょうがないわよね。
いわゆる蚊取り線香のようなものだったらしいわ。
モンハンのアイテムっぽくていいわね。
戦争コーナーへ
この時、テンションが猛烈に上がったの
・・・こ、これは!?
銃剣術の練習につかう棒じゃない!
「 ヤー! 」( 許可とってます )
このとき、グリップ部分の木がつるっつるなのに感動したわ。
剣淵のだれかが、この棒でなんどもなんども練習したんでしょうね。
そのとき、ガイドのおねえさんが
「 本物の銃もあったんですけど、偉い人に『 キケンだから 』って言われて・・ 」
そーよね! やっぱり百年前の銃といえども、薬きょうとかもヤフオクで売ってるし、火薬があれば撃てちゃうわよね!?
それに38式の価格は、軽く20万を超えていたわ。 深川のユルさが再確認されたわね。
当時の道新
聖断 和平条件を受諾したまふ
「 聖断 」って聞きなれない言葉だとおもったら、
かねてから天皇のことを「聖上」などと呼び、天皇の事跡や行動に「聖」の字を冠することは多かった。天皇の意思は「叡意」や「叡慮」「大御心」などと言われるが、「聖断」はそれよりも尚、重要な政治的決定を指すものと解されている。
なんか 聖 って付くとキリスト教なイメージだったけど、こうゆう使われ方もあるのね。
パスタマシーン
個人的に好きだった、昔のポスター
当時の少年たちは、このポスターをみて燃えてたんでしょうね。
ちなみに、これ、画鋲で止められてて、日光がガンガンあたるところに展示されているから、どんどん薄くなっていくわ。 このユルさが郷土資料館のいいところよね。
当時はこれでいくらだったのかしら? いま、ヤフオクで検索したら300円で落札されていたわ。
天明後の米一俵の価格変動
もう、すっごいインフレ
この資料はいったいどこでで何のために作られたのかしら?
発動機のシフトレバー、シブい!!
・・・で、大体一周したわ。
この資料館は剣淵町の有志がつのって
「 残すべきものを、残さないといけない 」ってモノを集めて、
行政が建物を作って完成したのよ。
慧眼だったと思うわ。
おそらく、大量消費の時代が到来して、その激流にこれらのモノたちは形を維持していけなくなることを予想していたのね。
現に、つい100年前のことなんだけど、まったく別の国の文化を見ている気になったもの。 馬車?蚕?手動扇風機wwww!銃剣?ってね。
でも、まちがいなく私たちのルーツがここにはあって。 これらのモノたちと踏み越えてきた現実があったのよ。 今に至る道のようなものが、この資料館にくればわかるのよ。 切り倒し、養い、積み重ねてきたのよ。
だから、予算とかいろいろあるでしょうけど、これからも剣淵の資料館は資本主義と時代の流れからパージして、しっとりと眠るように存在し続けていて欲しいわ。
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