休みの日だ。休みの日は勉強をしている。
「おっさんになると勉強もキツいっすよね」
「そんなことはない」
と答える。知的好奇心は老化しない。もし、それが無いというのであれば、それは心が弱っているだけなのだ。たとえばこんな問題がある。
「Aさんはタンスに防虫剤を入れました。次のうち、防虫剤に関する内容で正しいものを答えなさい」
A.のりがついているものは傷みやすい
俺はほほえみながらこのことを記憶した。そうか、のりは栄養になるから虫がついていたみやすいんだ。へえ。
こんな死ぬほどどうでもいいテストが来年1月に行われる。もし、俺が20代だったら、失われる前の新鮮な脳細胞でかんたんにパスできただろうか?
できるわけがない
「死ぬほどどうでもいい!」
とどっかに遊びに行くだろう。たしか郵便局でもファイナンシャルプランナーではないけど、ファイナンシャルなオリジナル資格があって、一切勉強せずに受けた。もちろん落ちた。
死ぬほどどうでもいい勉強をするには、それ以外をすべて片付けなければならない。おれはたくさんのしなければいけないことを抱えていた。いまはもうそれらを失っている。だから悲しくもある。あの頭の中のガラクタ達を、おれはちょっとづつ片付けていったのだな。うん、身軽になった。
だが体が重い。頭も重い。なぜなら夜勤明けのリズムの変化で、昨日は結局2時まで起きてしまい、頭は睡眠を欲していながらも体はまったくピンピンという苦痛にあったからだ。朝飯を食って、さあやるぞとはいかない。じんわりと頭が動き出すまで、じっとyoutubeとか見ながら待つ。
わかってる。
本当にやるべきことは、イヤホンをしてクラッシックをかけることだ。
それさえやってしまえば、勉強モードに入れる。
webライターだったときも、同じだったじゃないか。それが最初の、もっとも高い障壁なんだ。
11時近くまでかかり、やっとイヤホンをしてクラッシックをかけることができた。
それにしてもyoutubeは良くない。こんな素敵なMVを見つけてしまう。心がもってかれる。
夕食を食べて、嫁とテレビを見て、ゲームをして、飽きて、読書をする。「核爆弾の歴史」という本。知らないことが無限にある。やがて忘れてしまうとしても、知ろうとすることは止めることができない。