美しき花は、儚く散ってこそあれ
桜の花の例えを持ち出すことも無く、死と美は密接に結びついている。介護施設ではたらいていると、それこそ人間の散り際を沢山目にすることになる。この前も、あるお年寄りが亡くなった。仮に名前をHさんにしよう。Hさんは転倒を期にあっというまに落ちて行った。意志を言葉にすることが難しくなり、それにいらだっていた。怒りっぽくなり、手間もかかった。時間に追われる仕事中、まるで後ろからタックルを受けるランニングバックのような気分だった。走り続けなければいけない、だがこの手を振りほどいていいのだろうか?Hさんの最後は、見ようによっては醜いといえるかもしれない。それこそが人間であると思った。我々は花ではないのだ。生にしがみつく醜さこそ人間であり、それなしに人間の美しさは輝けない。金や仕事から解放され、人生の最後を生きる場所。そこは想像よりもエネルギッシュだ。叫んだり、ケンカしたり、憎んだり、おびえたり。いろんな感情が渦巻いている。「死にたくない」そんな言葉が聞こえて気がした。
若い生命力のような強い美しさではなく、溶けて立ち枯れていく樹木のような耽美な美しさもある。命の最後の輝きを、たしかに見た気がした。
死を手放してはいけない。命を医者に任せてはいけない。どこまで正気で見つめ続けることが出来るか。それが死と美を得るカギだとおもう。