モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

小説:介護

タウリンローヤルゼリーマムシ覚せい剤、なんでもいいから俺の体を動かし頭をクリアにしてくれと願う。40を超えた体はどこか着実に崩れて行くようで、ダルい。だるいんだ。原因はわかってる。酒じゃない。キャンプフィーバー。アラスカの自然にあこがれたDIYとアウトドア中毒の俺みたいなやつが大自然の中に丸太小屋を組み、その中で狂っていく症状。人は人との関係なしに生きられない証左といえる。頭が狂ってショットガンを加え込んでいく男達と自分との接点を感じずにはいられないが、今はネットがあるし、そもそも家は歩いて数秒のところにセコマがあるアラスカにくらべるとマンハッタンの様な都会なのだから「関係ないじゃない」とjは言った。

「ただ、だらけすぎているのよ」

「昨日は仕事だったぜ」

そうなのだ。11時間は仕事していた。だから俺はだらけてなんかいない。むしろ仕事中毒なのだ。ガラス細工のようなメンタルの利用者の生活を支える介護者。「電話が鳴ってるの、折り返したいけど誰から来たのかわからないの、結婚式の話だとおもうけど電話したいの」といういつものヤツにちょっとツイストが入った訴えを聞きながら、どうやって落ち着いてもらうか考える仕事。こんな時、最高にハイになれる。できればすべての仕事を投げ出して、その話について深く潜っていきたいが残念ながらこの業界の人手不足、激務はご存じの通りで立ち止まる余裕は俺にはない。j。お前ならこんな時どうするんだ?なぜ、存在しない電話が鳴っているんだ?誰からかかってきたのかわからないのに、どうやってかけなおすんだ?とってもいない電話の内容がなんでわかるんだ?俺たちの脳もこんなふうに面白い化学反応が起こっていて、それを理性でシャットアウトしているだけなのか?だとしたらもったいない。

「狂人」とjは言う。

「そうだよ」と俺は答える。

三島由紀夫は戦死していない自分の命を恥じたという。「お前は何をやっているのか?」という見えない戦死者に対して「文芸をやっています」と答えたのだ。社会と個人の関係について大学を周り講談をぶったという。それこそ全共闘の時代真っ最中で、その問いは即命にかかわるものだった。最後の時、あの演説に共振しない若者たちを見て絶望しただろう。これが狂ってなくてなんなのだとおもう。だか彼の残したメッセージは確実にその後の社会に響いたと思う。ビバ、狂人。俺なんてカワイイ。せいぜい今日も過労死を狙って出勤するぐらいの小物だ。だがあいにく。体は仕事に慣れ強くなり、覚えることも無くなってくると退屈になる。だから自傷行為のようにやっかいな仕事をこのみ、突っ込まなくていい闇に首を突っ込む。「介護やってます」とはにかんで言う。一歩間違えれば死。それがここにはある。昨日なんて眠れないおじいちゃんと一緒に日本シリーズを見ていた。「水」というので水を飲ませた。やってはいけない行為だとおもう。水なんて飲ませたら誤嚥性肺炎で死ぬ。殺してしまったら責任を問われるだろう。だけど水が飲みたくなる気持ちもわかる。水が飲めなくて何が命かと。とろみとかゼリーとかじゃない。水。水が飲みたい。幸いにして栗原が菅野をノックアウトして興味を失ったのか「寝る」とおじいちゃんは寝た。水はあまり飲まなかった。もし、菅野がソフバン打線をシャットアウトしたのなら、俺は殺人を犯していたかもしれない。