モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

その心配はきっと死ぬまで続くだろう

郵便局でメンタルを病みかけていたころ、母親が暴走し始めていた。といってもただの心配だったのだが、仕事を辞める末っ子のことが心配で心配で心配なのだった。

心配される側としてはとても心配だった。母の心配はきっと母の心を削っている。俺が出来る親孝行は、なるべく物理的な距離をとることなのだと思った。

いろんな偶然があってそれは成功し、イイ感じの距離が取れたと思う。あのまま行けば、きっとお互い心配で殺し合っていた。種はなるべく遠くに飛ばなければいけない。

 

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人は何故心配するのだろう。1つに相手のことを認めていないことが考えられる。ナメているのだ。例えば仕事で転倒するリスクがあるお年寄りがいるとする。いつの間にか立ち上がって動いてしまうのだ。だから目を離せない。心配なんだ。本人からすれば苦痛だろう。だって立てるし、動けるんだ。コケるのは自分の責任だ。

このように心配とは一方的なつながりだ。暴力に似ている。自分の心を守るために、相手を傷つける。やめてと言ってもやめてくれないだろう。だってあなたの為に心配しているのだから。

できることはただ一つ。相手の目の前から消えることだ。心配はやられる側が頑張っても何も変わらない。仕事でも90を超えたご老人が子供のことを心配している。そんな心配よりも排便感覚をどうにかしてほしいものだけれどそうはいかない。子供はいつまでたっても子供だから。

「心配しないで」という言葉ほどむなしいものはない。そんな言葉を放つぐらいなら、目の前から消えよう。旅に出よう。経済的に自立して、可能な限り疎遠になろう。でなければ相手の人生を奪ってしまう。死ぬまで心配は続いてしまう。