モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

踏みつけられた過去の上に立っている

いま働いている職場ではしっかりとした教育プログラムがあって、4日間の新人研修を受けている。そこでは過去の介護業界の状態とかを教えてくれるカリキュラムもあった。「そりゃ施設に放り込むとか言われるよなあ」というような状態だったのだ。入居者に対して職員の数が少なすぎる。だからベルトコンベアのように合理化された介護が行われていた。精神病患者じゃないのにしばりつけられるような生活。地獄である。

今は(少なくとも私がはたいている場所は)違う。そりゃ家に比べたらいろいろできないこともあるかもしれないけど、きちんと毎日生活の支援をしていると思う。例えば認知症が強くて毎日よくわからないことを言い始める人がいる。何年もいるのに「今日初めてやってきた」とか言うのだ。私はこんな人と話すのが大好きで、心の底から楽しく話している。この辺りは将棋を指している感覚だ。私の将棋は完全な受け将棋で、相手の攻撃をいかに優しく受け止めるかを目指している。認知症の人と話すときも同じだ。相手の言っていること、考えていること、今いる世界に合わせて私は歪む。限りなく優しく包み込む。失敗するとその後怒りが爆発し、仕事は残業祭りになるあたりも最高にスリルがあって楽しい。

そんな介護の歴史を学びつつ、介護事業のお金の流れとかも勉強する。なるほどと膝を打つことばかり。勉強は超楽しかった。近い将来、私の好きなタイプの仕事も増えることが予想される。すなわち、体は健康だけど、認知症が進む人が増えるだろう。医療は進歩するが、人体でもっともミステリアスな器官である脳の老化を止めることは難しいからだ。

食事の授業も面白かった。ご飯を食べて、飲み込む機能が落ちた人に食材をゲルっぽくした食事を提供するのだが、少しでも元の料理に近いように工夫している。例えば焼き魚だったら、焼き魚をミキサーしてプルンとしたゼラチンっぽいやつで固めて、それをパッドに流し込んで、魚型のワクで魚の形にして、バーナーで焼き色を付けて、付け合わせの野菜もその形にする。色もいろいろ考慮する。こんなことをやるのは日本人ぐらいで、欧米では食事への意欲が失われたらそれはあっちの世界へのゴーイングが近いってことでそのままにするんだとか。その方がいいと思う。死をポジティブに考えていると思った。日本でそれをやったら「人でなし」とか「介護がイヤなんだろう」とかひどいことをいろいろ言われてしまうからだろう。ただ、なるべく元の料理っぽく見せようとするその心が日本人的でとても好きだ。そして美しいと思った。まるで和菓子の様な繊細な仕事。あっさりと食べられてしまう料理にも、こんな仕事を重ねてきた歴史がある。

そんな面白い研修だけど、今日イチ面白かったのはストレスコントロールの授業。すなわち人間関係を円滑にやっていきましょうね、っていう内容だった。短いワードを一杯出して自己紹介することになって「ライダーハウスやってました」とか「エロ文ライターでした」とか面白いのをやろうとするのだが「離婚歴があります」「バツ2です」というのにかすむ。皆いろいろ人生を歩んでここにいるんだ。その後離婚の話とか、×2の話で盛り上がった。酒があれば朝まで飲めるだろう。

残念ながらコロナの影響と、シフト制による仕事の影響で飲み会は行われていない。だから聴いてしまった。「どうして離婚したんですか?」と。答えは壮絶だった。相手の浮気。匿名とはいえこんな所で書いてしまっていいかわからないが、子供はそのことを告げられずに単身赴任ということにしていたらしい。妻に引き取られた子供はつらかったろう、そして話していた人も辛そうだった。俺に話して少し荷を下ろしてくれればと思った。勇気を出して心にペネトレイトしろ。

そう遠くない昔、貧困層の農家は娘を芸子に出した。

いくつもの流行り病、伝染病を克服した。

だから老後も克服していくのだろう。社会は過去を踏みつけて、確実に前進していると思う。