今回は裁判傍聴の日記になっています。
裁判は原則公開されていて、いつでも好きな時に傍聴することができます。
なぜ、そんなことができるのか?というと「密室裁判」を防ぐためです。
密室で裁判が行われてしまうと、正義を金で買う人がでてくるのです。
だから裁判は公開で行われなければいけません。
現在の私たちが拳銃で自分を守る必要がないのは法律があるからです。
法律があるから殺されたり、レイプされないで済んでいるといえるでしょう。
ただ法律はそれを守る人がいないと、ただの文章に過ぎません。
ルールを守らない人を取り締まるには、多くのマンパワーが必要なのです。
傍聴はそんな現実を知る、もっとも有効な手段となります。
傍聴席の向こう側、裁かれる側の人間と私たちの違いはありません。
なぜ、彼ら(彼女ら)は向こう側にいるのでしょうか?
いろいろな原因や理由があるのでしょうが、ひとつに無知があったのだと思います。
「こんなことをしたら警察に捕まるかも」
ということが良く分かっていなかったという人です。
では無知は罪なのでしょうか?
罪だといえるでしょう。
「悪いことだと知らなかった」では済まされないのです。
社会人なら知らなくてはいけません、それは法のラインを超えた時の場合です。
ラインの向こう側に行くということは、どうゆうことなのか?
どうゆうふうに罪を裁かれ、または許されるのか。
そんなことは人生において超重要なことだと思うのです。
だからライダーを連れて今日も傍聴に行きました。
大麻ラバー
被告の姿を見て「ああ、やってるひとだ」と思いました。
ツヤのない長髪を腰まで伸ばし、ひげを蓄えトロンとした目をしてます。
大麻取締法違反の裁判でした。
若くて美人の検察官が
「これは、あなたの大麻ですか?」
と証拠品の大麻を見せるのですが、その量が多かったです。
麻袋やタッパーにはいった500gもの大麻を証拠品として提出してました。
それから被告の大麻取得方法を詳しく解説します。
それは「そんなこと話しちゃっていいの?」というぐらい詳しい情報でした。
なのでここでは書けません。
証人として父親が呼ばれました。
70代以上、札幌でタクシーの運転手をやってるらしいです。
実は被告は去年も大麻で捕まっていて、今回は執行猶予中の犯行でした。
なので証人のお父さんもなげやりでした。
検察に「生活を監督するって前いいましたよね?」
と詰め寄られても
「50近い息子の監督っていっても、無理があります」
ともうどうにでもなれ状態です。
私は「このまま終わるのかな?」と思ったら、弁護人がキラーパスを出しました。
信用性を疑う
警察の提出した証拠の「信用性を疑います」と弁護人が言います。
初めて聞きました、被告は罪を認めていて、この裁判は「もうしないから許してー」というものだと思ったからです。
証拠の信用性を疑うということは、ようするに「罪は認めるけど、警察の取り調べがおかしいよ」とバトルを仕掛けると言っていいでしょう。
法廷の空気も「!?」ってなってました。
弁護人が突っ込んだのは警察の取り調べがおかしかったのです。
事実とは違う(被告人も良く覚えていない場所)を「ここで大麻を採取しました」ということにしたのです。
被告人はドライブしながら適当な場所で収穫したので、具体的な場所を覚えていなかったのです。
なのに警察は「キミのためだから、ここで取ったことにして」と具体的な場所が欲しかったのでしょう。
その気持ち、わからなくはないです。
法的な証拠を作る書類ですから「だいたいここら辺で収穫したようです」というのは許されないのでしょう。
そのことに弁護人が突っ込んだのです。
秋篠宮さまに似た正義の弁護士は、立派に被告人を弁護していました。
ただ、被告人が自分ですべてダメにしてました。
どうすれば大麻をやめられるのか?
弁護人の強烈な一撃で被告人優位のまま質問に移ります。
弁「大麻の依存度ってどのくらいですか?」
弁「じゃあ、もうやめれますね」
被「はい、僕にとって一番大事なのは自由ですから」
弁「どうすれば辞められると思いますか?」
被「北海道を出ようと思います。北海道にいたらそこら中に生えているからやっちゃうんです」
弁「じゃあ北海道をでたら辞められるんですね」
弁「大麻が悪いものだとわかりましたか?」
被「んーでも、やっぱり大麻は悪だとおもえないんですよね」
ここらへんで「あ、この人ダメな人だ」と思いました。
裁判で許しを得るためには「もう二度と、絶対にやりません」と誓うことです。
それを自分からぶっ壊して行きました、ある意味嘘がつけない人なんでしょう。
最後に弁護人は「この人は刑務所にぶち込むよりも、社会で働かせたほうが良い」といってました。
その夜
ライダーハウスにタコと日本酒を提供してくれたライダーさんがいたので、みんなで車座になって飲みました。
今日の裁判の話をすると「じゃあ、自分は何中毒?」というはなしになり、「タバコ」「SNS」「ラーメン」という答えが多かったです。
自分の生活の一部になっているものをあぶりだすのは意外と難しく、私は答えに詰まりました。
「マスターはスプラトゥーンじゃね?」という言葉に「ああ、それだ」と気づかされたぐらいです。
もしスプラトゥーンが法律によって禁じられていたら、私はラインの向こう側にいたでしょう。そして「スプラトゥーンが悪だとは思えない」と供述していたはずです。