モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

過去と未来は脳の創作

脳は現在起こったことを記憶する。その記憶たちを過去と呼んで、その過去から予想されることを未来と呼ぶ。つまりは、過去と未来はなく、この世は現在しかない。

 

っていうことをベースにおいて

 

過去に戻ることは不可能ではない。それはかぎりなくゼロに近い奇跡なのだが、ゼロではない。たとえば、今飲んでいるアクエリアスを吐いてみたら、偶然胃液とか混ざらずに飲む前のアクエリアスとなっちゃった!というぐらいの確率なのだ。限りなくゼロに近いが、ゼロではない。

 

・・・と言う話をテレビで見た。うーん、納得できるような、やっぱりできないような。やっぱり時間は流れていて、それはビッグバンからはじまり、その力が失われるまで流れているほうが理解できる。

 

いずれにせよ、人間の力の外の話だ。

 

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実はもうビッグバンの威力は弱まっていて、時間の完全停止まであと数マイクロ秒というところかもしれない。その数マイクロ秒のなかに私たちはいて、でも脳がそのゆっくりとした時間の流れを認識できずにいるだけなのかもしれない。だから宇宙外生命体が進化して地球にやってきて「なんつー遅い生き物だ」とあきれているのかもしれない。

 

いや、もしかしたら。

 

ビッグバンの始まりから終わりまではギューッと圧縮された一瞬の時間で、意識が存在できるのはその中の特定の場所だけで、生と死はそのギューッとなった世界へのin、outなのかもしれない。

 

そんなことを夢想する休日。休日なんだけれど、午後から仕事。うひー

劇場版ゆるキャン△/やりたい介護といわれても

 

劇場版ゆるキャン△を見た。

大人になったなでしこたち主人公が美しくかわいらしく生きていた。「これって、2次創作で毛むくじゃらのおじさんとか出てくるよね」「出てこないはずがないじゃん」と嫁は言う。現実は過酷で醜い。ハードワークをしているリンちゃんは、毎日エナジードリンクを飲みながら自律神経が壊れる音を聞いているかもしれない。公的な土地や施設を作ろうとしている眼鏡には「今度はこの会社にしてよねー」という地元の建設会社の企業リストが渡され、その営業からは毎日接待を受けているかもしれないし、キャンプ場にはごみを放置したままにするウェイ系のキャンパーも来るだろう。直視できない醜さがきっと生まれているが、そんなものは見なければいいのだ。

 

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研修があり、会社のほかの施設に出張してきた。そこでは料理を自分たちで作りふるまい、小さいながらも地域に根差した介護をしていた。「私は地域介護がやりたかった、だからここにきたの」と指導職員が言う。やりたい介護があれば、そっちの道にすすむといい。だけど、やりたい介護ってなんだろう?それからも、いろいろな話をした。こんなに密度の濃い研修もすごいな。この前も講義形式で5日間、みっちりと外部の講師から介護について学んだが、それとは別のタイプの濃さだ。マンツーマンで、その人の仕事についていく。これまで謎だった部分が「あ、そうやるんだ」とわかる。やりたい介護などもっていないが、やりたいことはあった。「料理がしたいです」と、おれはスラムダンクの三井のように言った。「待ってるよ」と所長は言った。

 

 

読書映画週間のおわり

「いまさら翼といわれても」米澤穂信 を読んだ。あの古典部シリーズの、っていうか氷菓の原作だ。「連峰は晴れているか」もこの中にある。

大ヒットアニメになっているので、キャラのイメージがしやすい。それに文章のいいところは、いじめとか陰湿な嫌がらせとか、田舎特有のねっちりしたいやな空気感がつたわってくるところだ。面白かった。えるたその進路選択がとても気になる。

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「スティルウォーター」を見た。

フランスのマルセイユに留学して、同性の恋人の殺人罪で投獄されている娘。その娘の無実を証明しようとする主人公。その主人公を助けるヒロイン。という話。真相にたどり着く前に、ヒロインといい感じになっちゃうんだけど、真相にたどりついちゃうと、ねっとりとした闇に包まれるというラスト。

しらなくてもいい真実っていっぱいある。また、それと同じくらい知るべき真実もいっぱいあるんだろう。どっちを選ぶかによって、人生は変わる。

おれは、いま、何を知りたいのだろうか?

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突然始まった連休が終わり、いつもの仕事が再開した。

1週間も休んでいたので、出勤前は死ぬほど怖かった。が、始まってしまうと恐怖はどこかに行ってしまった。仕事帰りにボンベイサファイアを買って帰る。おいしい。

 

 

天気がいい日に片づけを

いきなりやってきた連休で、やりたいことをやってきた。なので、あとはやらなければならないことを片付けよう。天気もいい。家の裏にまわって、枯れ草を引っこ抜いて、枝をまとめて車に積んで焼却場へもっていく。入りきらないのは燃えるゴミの日に出すことにする。大体片付いたので、嫁と庭で座って休んでいたら黒猫がやってきた。

猫はこちらを警戒しつつ、家の敷地に入ってきた。あまり見ない猫さんだ。どうしたのかな?とみていると、さっき刈ったばかりの枝を美味そうにかじっている。5mほど先のほのぼのとした光景だった。

ひとしきり味わった後、猫は去っていった。その枝をグーグルレンズで撮影したところ、どうやらマタタビ科の植物のようだった。へぇ、それでか。

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スカイスクレイバーを見る。ドウェイン・ジョンソンさまのアクション映画。ど派手。うそーん、とか言いながら見る。最終的には筋肉量がものをいうのがドウェイン映画のいいところだ。

 

ボッチ・ザ・ロックというアニメを見る。主人公ちゃんの卑屈なところがどんどんイライラしてくるんだけど、あれ、ひょっとして俺もこんな感じ?とハッとさせられた。

卑屈はよくない。ただの自己憐憫だからだ。