モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

考えるだけでは結論にたどり着かない

仕事を辞めるとき「よく考えて」と言われた。考えればわかるはずだと。あれから20年、考えたところで結論にはたどり着かないときっぱり言える。2つ理由がある。

 

1.考えるには材料が必要だ

ロゼッタストーンにかかれたヒエログリフを解読するとき、人は大変困った。手がかりが少ないのである。暗号解読者までもが登場したのだが「ひょっとして意味なんてないんじゃない?」という諦めまであった。解読できたのはトマス・ヤングという物理学者の登場が大きい。

これは考えるには材料が必要だと意味している。仕事を辞めるということは、給料が減るということだ。それぐらいわかっている。「よく考えて」と言う人は、きっとそこしか見えていない。そんなものはアドバイスではないと思う。

金は生きるための手段に過ぎない。そしてありすぎる金は人からある種の鋭さを奪う。

2.考えるだけでは結果が分からない

世の中はとんでもない事象が組み合わさってできている。それでいてシンプルなルールも存在する。社会は観測者によってその姿を変える。考えるだけで正しい結論にたどり着けるというのは、ごく一部の学問しかありえない。

行動が伴って、はじめて考えは結論にたどり着く。

 

休みだった。朝から布団の中で何をするか考える。考えはまとまらない。何をしてもコロナにたどり着く。結局テレビにニンテンドースイッチをつないでゲームをしていた。

頭の中にはできるかもしれないが、できないかもしれないことがある。それは実行しなければ結果を知ることが出来ない。

美しいものが見たい。ただそれだけだ。無限に愛とエネルギーを注ぎ込めたライダーハウスがもうない、こんな寂しさもある。

家を買え

食事介護をしている間、職場の若い先輩と話をしていた。話題は家の話になって「さむくないんですか?」とか聞かれる。私の家は築50年。寒くないはずはないのだけれど、なんといっても前住んでいたのは電車だ。ストーブをガンガン炊いていたら、天井の雪が解けて雨漏りしたという物件であり、水は確実に凍るから水道管に水を常時通せないところだった。そこに比べれば、今の家は「家」なので何も問題は無い。薄いガラス、吸水して弱体化した断熱材(そもそも入っているのか疑わしい)、風呂は室内露天風呂状態で、湯舟で限界まで体を温めなければ体を洗うのは厳しい。それでも満足に暖かいよ、そんな風に言った。

「私の家もらってー」という声が聞こえた。神?いや、Aさんだ。今年入居した利用者さんで、1人暮らしの家があまっているという。固定資産税を払うぐらいならもらってほしいと言っていた。水回りは工事してあるらしい。「買うべきだよ」と私は言う。先輩はアパート暮らしで、家庭は無い。家を買う必要はないだろう。だから「飽きたら民泊物件にして貸し出せばいいんだよ」と言った。そうすれば固定資産税ぐらいは稼げる。さすがにタダでくれることは無いと思うのだけれど、不動産屋だったら食いつきたくなるお話しのはずだ。

それに、家を買うことで、確実に変化が訪れる。家とは不思議だ。住む人間が家を管理しているように見えるが、人間が住む家に合わせて変化しているようにも見える。ライダーハウスをやる前、私はライダーハウスをやるような人では無かった。絶望を胸に、不安を泳いでいるだけだった。でもライダーハウスを初めて、ライダーハウスの形に歪んだと思う。家が住む人間を変える。

イイ感じの彼女がいる先輩に必要なのは家だ。隙間があれば、そこになにかが入ってくる。法務局の謄本に自分の名前が入るのも重要だ。不動産を売り買いすることで得られる経験や知識もバカにならない。覚悟も決まるし、自由度も増える。本当にいらなくなったらライダーハウスにしてあげるから、買え、と思った。

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住所を知らない場所に帰るには

きょうも狂ってた。

家に帰る、という。では、住所を知っているのか?と問う。しらない!と言う。自分の家の話だ。

力づくで非常口から外に出ようとしていた。鍵は2個ついている。1つは解除されてしまった。もし、もう1つに気付いたのならどうすればいいのだろう?タックルで止めるしかないのだろうか?それは身体拘束ではないのか?自分にはわからなかった。ドキドキしながら作業を見守る。幸い、1つしか気づかなかった。

そんな人に時間を取られてしまって、他の仕事が全く進まなかった。奪われたのは時間だけではなかった。こちらのエネルギーもだ。

どんな本にも、怒っている人からは距離をとるしかない。と書いてある。その通りだとおもった。殴られ、ののしられながら、心を閉ざした。

「私なんか生きてようが、死んでようが構わないでしょ!こうなったら施設にでも入ってやる!」という。つい「ここが施設だよ・・・」と言ってしまった。言ってから後悔した。ファンタジーの世界にいる人にリアルを教えてどうする。ひたすら悲しかった。

悲しかった。悲しい顔をしていた。そしてすぐに忘れてくれた。

人間の到達点。脳が委縮をし始めたらこうなってしまうのだ。人道的になんとかするには、ウソをつき続けるしかない。ここにいられなくなってしまったら、最後には精神病院しかない。鎮静剤と身体拘束しかない。それは敗北だとおもう。

「人間の問題は不幸ではない、不安である」とタイゾー先生は言った。その通りだと思った。不幸なんて慣れる。不安には絶対慣れない。不安には人を狂わす力がある。狂った力。それが人を爆発させ、突き動かし、壁を越えさせる。今年私は家を買い、彼女と2人暮らしを始め、2人ともボーナスが出た。経済的に不安な状態から脱却できた。つまらないと思う。あの不安。体を動かすエネルギーだった。それが少しだけ懐かしい。

 

関係障害論を読んだ

「なぜ、家に帰れないのか?私を馬鹿にしているのか?」という怒りを1時間以上浴びつづけて、さすがに疲れてしまった。それが認知症特有の帰宅願望であろうとも、言葉はそれ自体で伝わる力がある。凹まされたまま家に帰り、ぼーっと本を読んでいた。以前に購入した関係障害論と言う本。

利用者は家族に捨てられたという恐怖を抱いて生活している。家族関係の喪失。

社会から見捨てられる恐怖。社会関係の喪失。

自己のプライドを維持できない。自己関係の消失。

人は関係性で出来ている。このことを心にとめた。

 

次の日。今日はどんな風に怒られるのか?と身構えていたら逆だった。

すでにすべてのエネルギーを噴出してしまった後で、なんというか鬱状態だった。

なのでエライエライと褒めちぎった。はげました。あなたには価値があるとたたえた。

 

たぶん、介護の仕事で一番きついのはここじゃないだろうか?

うんこしっこや肉体的な部分はすぐに慣れる。職場の人間関係もなんてことない。

大きいのは利用者と寄り添うことによって、その影響を受けてしまうことだ。

どんなに愛した人でも「手を上げてしまいそうになった」と家族が言う。だから施設が必要になる。施設ならシフトで動くから、1人の影響を1人が受け続けることは無い。

 

私は確信した。この仕事で必要なのは嘘だ。相手が欲しいウソを、的確な角度、的確なタイミングですべりこませるテクニック。「娘さんがね、さっきまで来ていたけど心配していたよ」と伝えた。すこし顔色が良くなった。家族関係である。

 

怒りモードの時は言葉が届かない。だからウソは通用しない。ただ、相手のエネルギーが尽きるのを観察している。プライドが怒りを産み、周囲から人を遠ざける。せめて、1人ぐらい近くにいてやった方がと思うから近くにいる。

 

いったい、高齢者の脳内ではどんな作用が起きているのだろうか?長生きを目的としているシステムではないと思う。死に急ぐような怒り、自殺のような帰宅願望。実際に外に出してみたら・・と想像せざるを得ない。きっと何キロも歩いて行くだろう。日本中の施設あるある。

 

深い穴に降りる階段を共に歩んでいく。今日も1笑いを。1日1笑。