「なぜ、家に帰れないのか?私を馬鹿にしているのか?」という怒りを1時間以上浴びつづけて、さすがに疲れてしまった。それが認知症特有の帰宅願望であろうとも、言葉はそれ自体で伝わる力がある。凹まされたまま家に帰り、ぼーっと本を読んでいた。以前に購入した関係障害論と言う本。
利用者は家族に捨てられたという恐怖を抱いて生活している。家族関係の喪失。
社会から見捨てられる恐怖。社会関係の喪失。
自己のプライドを維持できない。自己関係の消失。
人は関係性で出来ている。このことを心にとめた。
次の日。今日はどんな風に怒られるのか?と身構えていたら逆だった。
すでにすべてのエネルギーを噴出してしまった後で、なんというか鬱状態だった。
なのでエライエライと褒めちぎった。はげました。あなたには価値があるとたたえた。
たぶん、介護の仕事で一番きついのはここじゃないだろうか?
うんこしっこや肉体的な部分はすぐに慣れる。職場の人間関係もなんてことない。
大きいのは利用者と寄り添うことによって、その影響を受けてしまうことだ。
どんなに愛した人でも「手を上げてしまいそうになった」と家族が言う。だから施設が必要になる。施設ならシフトで動くから、1人の影響を1人が受け続けることは無い。
私は確信した。この仕事で必要なのは嘘だ。相手が欲しいウソを、的確な角度、的確なタイミングですべりこませるテクニック。「娘さんがね、さっきまで来ていたけど心配していたよ」と伝えた。すこし顔色が良くなった。家族関係である。
怒りモードの時は言葉が届かない。だからウソは通用しない。ただ、相手のエネルギーが尽きるのを観察している。プライドが怒りを産み、周囲から人を遠ざける。せめて、1人ぐらい近くにいてやった方がと思うから近くにいる。
いったい、高齢者の脳内ではどんな作用が起きているのだろうか?長生きを目的としているシステムではないと思う。死に急ぐような怒り、自殺のような帰宅願望。実際に外に出してみたら・・と想像せざるを得ない。きっと何キロも歩いて行くだろう。日本中の施設あるある。
深い穴に降りる階段を共に歩んでいく。今日も1笑いを。1日1笑。