中島らもの名著「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」
のなかにこんな一説がある。
人生なんてつまらないし、苦しいことばかりだけど、たまに、年に一度くらい「生きててよかった」という瞬間がある。その瞬間を額縁に入れ、酒を飲むたびに眺めるぐらいでいい
誰かの年に一度くらいの「生きててよかった」をプロデュースできればなあ、と思う。それは具体的にはライダーハウスでお客さんと一緒に遊ぶことなのだけど、まあ、そこそこできたかもしれない。
特にカヤックは自分でないとなかなかできないと思っている。お金にすることには失敗しているけど、誰かを誘って遊ぶにはこれ以上ない遊びだ。
そんなことをしていたら死体を発見した。自殺者だった。発見したのは自分とその夫で、身投げした妻を探していたのだ。そのことを伝えてくれたとき、夫は私に抱き着いて泣いた。「好きだったんだ」と泣きじゃくった。奥さんはウツだったらしい。
ウツになってしまったらどんな楽しいことでも楽しめない。それはどうしようもないことだと思う。
どうしようもないことなんだ。
だからそうなる前に、額縁にいれる「生きててよかった」を作らないといけない。精神エネルギーが枯渇する原因から離れないといけない。そうなってはもう遅いからだ。
経済成長を終えた日本はおそらくブラック企業との戦いにシフトしていくと思う。丁度中島らもの世代が安保闘争とかで資本主義と戦っていたように。我々の世代は個人が上手く生きていくためにという戦いなのだ。
鬱にならない社会を作るために戦わなければいけない。鬱になってしまったら戦えないからだ。