法律や条例、常識や空気、校則から家訓、ライダーハウスのご利用案内まで世界はルールであふれている。実に息苦しい。
息苦しいが仕方ない一面もある。人はほっておくと自己の利益をMAXにさせようとする。今朝の新聞でも耐震対策のメーカーが15年もデータを改ざんしていたと報じられていた。かかわったのは1人ではないだろう。
今年傍聴した殺人事件でも「いまでも悪いことをしたとは思っていません」と被告がいっていた。ルールなしではこの世は危険だ。もしルールのない完全な自由な世界に行けたのなら、まずは拳銃とたっぷりの弾薬が必要だ。
サカツメさんのブログで野田ともすけの「ルールに対する考え」のようなものが紹介されていた。野田さんはカヌーをする人なら知らない人はいないパイオニアで、とにかくルールが嫌いな人だ。「ここでキャンプをしてはいけません」という公務員を川にブン投げていたという。
ブログでは「人を縛ろうとするのは弱い人間のすることだ」とバッサリしていた。野田節全開である。強い人の言葉だ。
我々は弱いからルールで武装するしかない。常識や空気を読んで生きるのが得策だ。もしそれが嫌なら、自由を求めるなら強くなければいけない。心の中にコルトバイソンを、0.1秒で発射できるところに置いておかなくては駄目だ。
耐震偽装は社員の一人が「おかしい」と声をあげたことから発覚した。強い人だ。上司や取引先や同僚やその家族へ向けて心の銃を撃ったのだ。
ルールに関して、とても好きな逸話がある。それは北大の前身である学校を創設するとき、道民はクラーク博士に校則案を見てもらった時の話だ。
まだ教育なんて金持ちの道楽に近い存在だった時だ。あれをするな、これをするなと校則はとても細かく設定されていた。博士はそれを全部投げ捨てて「これだけでいい」と言った。「紳士たれ」とても強く、美しい言葉だ。
紳士とは自分の正義を実行できる人であると思う。誰かが困っているのを助ける、集団でおこなわれる不正義にNOという、それらの行動ができる人を紳士と呼ぶのだ。
シンプルなルールほど美しいと思う。それをいつでも取り出せるように、0.1秒で発射できるようにしておきたい。