先日19歳の旅人が「説明べたなんです」といった。そこで恥ずかしげもなくアドバイスしたのだけれど、後で「どうして説明が下手なのか?」考えてみた。そこにはおそらく母親の影があるのではないかと思った。
母親は子供の言うことをちゃんと聞く(普通の母親の場合です)、子供に関心があるからだ。子供は話を聞いてくれる母親に全部話す。全部伝わる。これは気持ちのいいことだ。
話を聞いてくれる人に話をするのは気持ちいい。それは営業の基礎である「傾聴」に通ずる。お客さんをとにかく気持ちよくさせるには、とにかくしゃべらせる。何時間でもしゃべらせる。話を聞いてくれる人に話をするのは気持ちいい。
だけど現実社会では自分の話を聞いてくれる人を見つけるのは大変だ。性別や世代の違い、もっている主義思想の違い、マウントの取り合い、人に自分の話を聞いてもらうには修業が必要だ。ただ話すだけではだめなのだ。
誰も自分の言うことには興味がないのだ。誰も自分のことをわかってなどくれないのだ。理解なんてしてくれない。孤独を感じろ、孤独を胸に刻みこめ、自分のことをわかってくれる人などいない。
自分がいかに社会の基準から外れている変態か理解しろ。圧倒的マイノリティーであり、周りに誰もいないことを知らなくてはいけない。孤独を胸に、誰もいない荒野を行くのだ。
だからまあ、だれか話を聞いてくれる人がいるなら大切にしよう。
以下日記
裁判傍聴して怒り震える
裁判傍聴で「半角と全角をまちがえたから土下座を強要される」というものを見ました。
帰りの車や居酒屋準備中になぜか気持ちが落ち着きませんでした。
しばらくして「あ、これ怒りだ」と気づきます。
土下座を強要された証人に気持ちを重ねることで、言いようのない怒りを感じていたのです。
雨でそこそこにぎわった
シーズンは終了したと思ったけれど、雨だったのでそこそこにぎわいました。この前かった自衛隊専用ドリンクの話をしたら「ここで売ってくださいよ!」とのこと。それはラッキーピエロを札幌で食うような愚行だとおもう。
さよならつっきー
事故られてバイクを買う男つっきー。彼のアルバイトも終了を迎えてしまい、ついに北海道を離れることに。また事故られたら北海道に来てね。