さあさあ!裁判傍聴もくぎりがついて、仕事にも終わりが見えかけてきたよ!
こんなキワドイ趣味してるから、私には友達なんていなくて、孤独死は確実なんだけど、最近裁判所で話すおじさんがいるのよ。
あ!挨拶忘れてた!あなたの肛門からコンンチハ!タンジェント高木だよ!
そのおじさんってのは、小児愛好家でも、連続万引き犯でもなくて、覚せい剤中毒患者でもないのよ。私と同じ裁判傍聴マニアなんだけど、今回みたいなでかい裁判では、必ずお会いする人なのね。おそらく、年金受給者なんだろうけど、刑事裁判予定の調べ方とかで意気投合して、昼休廷のときに少しお話したのね。「夏はさ、高校野球があるからね」「おお!僕も嫌いじゃないです」「いやー15年見てるけど、こいつはモノが違うなって2人ぐらいだったね」結局その時、裁判の関係者が入ってきて、どうでも良い話しが止まっちゃったのよ。ああ!気になる!その2人ってプロに行った人?旭川出身のプロ野球選手って、元オリックスの星野か、今西武で中継ぎやってる武隈くらい?
もっとお話したかったけど、いきなり焼酎買って、そこら辺の公園で飲みませんか?と誘うのも失礼じゃない?ちょっとだけ私の仕事も話して「今日の裁判を小説にしてくれよ」って言うから「じゃあ、あの人に取材しないといけませんね」ってなったの。そう、今回の被告の愛人であるKさんね。旦那と女性を両方愛して、子供もいる彼女なら、きっと愛について知ってるはず。愛だろ、愛。
まあ、そんなこんなで、どうしようもないつながりが生まれそうだったんだけど、私達の決して褒められない趣味を弁護させてもらうなら、私達は貧しいけれど豊かなのね。裁判傍聴も高校野球も、ある程度の教養がないとたどり着かないのよ。教養って言葉が嫌いなら「暇つぶしが上手い」と言い換えてもいいわ。学問は暇つぶしであるというそれは、被告を見ても明らかで、母親のうちから勝手にテレビを窃盗して売り払う被告の背景は知らないけど、暇を潰すのは下手くそよね。私だったら月10万の生ポがあれば、楽勝で人生を過ごせるわ。旭川傍聴友の会を発足して、月1の花咲公園の飲み会と、弁護士先生のトークショーまで企画できると思うの。それで、脳汁が出るのよ。
かわいそうなことに、裁判の被告になる人の中には、パチスロとか覚せい剤でしかエンドルフィンを分泌できないタイプがいて、それは辛いだろうなって思うわ。遺伝子のコピーは常にミスをするように設計されていて、それは環境に対する種としての生存能力なんだろうけど、レイプでしか興奮しないように設計されて生まれてきた男は悲惨よね。病院でしか孤独を紛らわせない老人も悲惨。ホストにしか人間性を見いだせない女もいれば、バイクで100キロを超えないと行きていけない人もいるでしょ。
今回の被告のことを想像するだけで、すごく悲しくなるんだけど、金なんて無くてもいいし、働かなくてもいいのよ。暇なら裁判所やスタルヒン球場にいけば潰せるし、食事は自分で作ったほうが美味しいし、こっそりバイトするならネットがあるのよ。お金や法律なんて、人間が頑張って作った不自然な存在で、楽しく生きるってことに必要なのは学問と興味なのよね。それさえアレば、刑務所だって楽しく過ごせると思うの。お金がなければいけないという考えは、貧しいのよ。カルロス・ゴーンや舛添さんを見れば分かるとおり、お金を貯めることに終わりはないの。無限に高いエベレストに登るようなものなの。そんなことを言っちゃったら、みんな経済活動をしなくなって、国が終わっちゃうから言わないだけなのよ。出所したてのヤクザを金のために家に泊めるなんて、クソみたいな行為をしてはいけないのよ。お金がないと死んでしまうというのなら、一度それを受け入れて、じゃあその時は死のうと思えるときから、本当の人生は始まるのよ。経済に死を取られてはダメ、死は常に自分で持たなければいけないのよ。そうすると視点が変わって、お金のためにほっともっと窃盗(このフレーズ好き)をしようなんて思わなくなるの。食べ物はそこらじゅうに生えているし、寒ければ南に歩いていけばいいし、ほしいものがあればバイトをすればいいの。