モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

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留萌のニシン番屋に行ってきた

オロロンラインにある小平のニシン番屋。 留萌のやや北あたりにあるやつ、しらない? でっかい木造建築で、通るたびに 「 あれ、なんだろうな? 」って思ってたの。 そして、ついに、満を持して、ザ・ファイナル、小平のニシン番屋に行ってきたのよ。

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でかい

 とにかくでかい木造建築。

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小平の道の駅に隣接してるから、迷うことはなかったわ。

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道の駅には郷土資料館てきなルームがあるから、無料だし立ち寄ってみるのもいいかもね。

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昭和のできれば試したくない薬シリーズ。 びっくり丸(がん)。 ネーミングが不安を掻き立てる。

 そして、樺太引き上げ船「 泰東丸 」の悲劇についての展示が秀逸ね。 戦後すぐ、樺太から民間人をのせて日本に帰る船をソ連の潜水艦が撃沈してしまったのね。 600人以上の死者、行方不明者をだした理不尽な事件について知ることが出来てよかったわ。 戦争の悲劇ね。

三船殉難事件 - Wikipedia

 

 で、ニシン番屋へ。

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居間。 この周りに雑魚寝する。 多いときには二百人が生活していたらしいわ。

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食事とか、宴会とかしてたんでしょうけど、スマホもテレビも文庫本もないわよ。

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契約書は漢文! うひー

ココで生活していた人たちは、漢文が読めたのかしら? 義務教育は始まってるけど、文学を楽しむなんてことはやらなかったでしょうね。 第一、パーソナルスペースが皆無ですもの。 娯楽は食事と酒とギャンブルぐらい? ここで夢をかたったり、喧嘩したり、恋愛したりしてたんでしょうね。 

 この番屋が出来たあたりから、ニシンは徐々に取れなくなってきたみたい。 そもそも、ニシンがもてはやされたのは、ニシンが「 エネルギー 」だったからなのね。

 魚として食べるためじゃなく、油をしぼったり、粕を肥料にしたり、ニシン漁は当時のエネルギー産業として隆盛だったのね。 その様子はニシンが取れなくなって、人口が激減した現在ではうかがい知ることは出来ないけれど、エネルギーと職を求めた人たちが北海道の日本海をにぎわせていたことは間違いないんでしょうね。 

 そのあと温泉に入って、スープカレーを食べて帰る。 ニシン番屋の親方でも出来ない贅沢よね。 

 今日なんてドローンで遊んできたんだけど、たった百年ちょっとでスゴイ変化よ。 ニシン番屋で働かなくてはいけない若者にとって、現代の若者たちの悩みや苦悩はどう見えるのかしら? 人生の、命の使い方について頭が禿げるほど悩みまくったワタシの人生なんてモッコ一回ぐらい楽勝の悩みなのかも知らないわね。

 

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