テレホン人生相談は営業マンの心の癒し、そして介護にも使えるのです。
父親の目があまり良くないようで「何も読めない、暇だ」と言っていました。人間は目からの情報が大きく、脳に入る情報の7~8割を目から入れているのです。「それはヒマだよなあ・・」と思ったのでツタヤで落語のCDを借りてスマホに入れてあげました。
でも、落語ばっかり聞くのって結構疲れます。想像力を使わないといけないし、意識して聞かないと何を言っているのかわからなくなるからです。
そこでテレホン人生相談のをスマホに入れてみました。これの反応は良くて、母親とひきこもりになった子供の相談についてディベートしていたらしいです。
テレホン人生相談は保険の営業をしていた時によく聞きました。11時から始まる仕事の息抜き、つまりは現実逃避です。「こんな大変な人がいるんだ、大変だなあ・・・」と自分の悲惨さから目を背けるのに最適な番組だったと思います。
だれしも悩みや苦しみを持っていて、それをなんとかしたりできなかったりしながら生きている。相談員の言葉で泣き崩れる相談者、そこには「生きよう」としているからこそ科せられた使命のようなものがあるのかもしれません。
見城徹という社長の本を読んだのですが、やはり出版社を立ち上げるような人間にはそれなりの苦しみを背負ってきたようです。とても一般人には耐えられないような苦痛、信仰心にも似た仕事哲学、そして人間個人のエネルギー。見城徹だからこそ立ちふさがった壁というのがあるはずです。
そして、まったく壁が無い人もいます。
立ち上がる気が無い人を立ち上がらせることはできない
今日は裁判傍聴に行きました。簡裁だったのですが面白かったです。37歳の被告からはエネルギーのかけらも感じませんでした。ただぼそぼそと「甘かったです、意思が弱かったです」と口だけの反省をしゃべります。
「生活保護を受けるつもりです」といってましたが、どうなのかな?最近は水際作戦で役所の福祉課もキツイ対応をしなくてはいけないらしいです。その攻めに肉人形のような被告が耐えられるとは思いません。
ホームレスになって怪しい業者に生活保護の申請をしてもらって、怪しい住居に住んで怪しい仕事をするのではないでしょうか。「生きる」と望まなければ、それはそれで平穏な人生なのかもしれません。
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