モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

将来どうするの?って質問について

旅人ブログを読んでいたら

「 今はいいけど、将来どうするの? 」って

大事な所に土足で踏み込まれて傷ついた

って話があった。

 よくある話だ。 でも、なぜ? そんな失礼なことが

聞けるのだろうか?

広告

 

 

「 若者よ、勉強して働け 」とつい、言ってしまうのよ

 それは、社会の構成員として当然のことなんだけど、

人はほっとくとニートになるのよ。 

なぜなら、人間とは堕落する生き物でしょ?

だから、つねにケツをひっぱたかなくてはいけないのよ。

大人は経験的にそのことを知っているから、ふらふらしてる若者には

「 働け 」といわなくてはいけなくなるんじゃないかしら?

 

もう、これは様式美っていえるんじゃないかしら?

 

だから、言われたほうは傷つくことを覚悟しなくちゃいけないのよ。

 

自分の将来

なんて、誰よりも考えてるって

 

話は宮崎駿に変わって

学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。
知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。
どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。

宮崎駿

宮崎駿「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのツケは全部自分が払うことになる。結局、無知なものはやっぱり無知ですからね」 : 無題のドキュメントより

 

 なんか、この 「 自分がどこにいるか知らない 」って言葉が刺さったのよね。 

 ワタシ、初めて沖縄に行ったときに、そこのダイビングの社長が「 自分のルーツ 」について語ったのよ。 社長は沖縄人、すなわち琉球文化と自分のルーツについて自論をもっていて、当時23くらいの私には「 自分のルーツ 」なんて????????って感じだったわ。

 それからかなりの時間がたったけど、「 自分のルーツ 」ってのは、おそらく宮崎駿のいう「 自分がどこにいるか 」って事につながっていると思うの。

 

 そして、そらは「 自分が将来なにをするか 」になるんじゃないかしら?

じゃあ、自己紹介がてら、ワタシがどこにいるのかについて語るわ。

 自分がどこにいるか?

 私は38歳で、北海道の美瑛町に住んでいて、半分くらい自営業で、もう半分はアルバイト。 このまま恐ろしいほどの低空飛行を覚悟すれば、死なない程度の利益はあげられるだろうけど、安定はない。

 ただ、人生遣り残したことはもうあまりなくて、不満や恨みは少ないほうね。

 大学に生かせてもらった後、郵便局に入って最初は配達、それから貯金保険課という営業部署に転課。 これは自分のコミュニケーション能力を強化したくて自分から飛び込んだんだけど、結果は惨敗で、3年やって精神の崩壊が見えてきたので辞める、合計五年郵便局にいたのね。

 それから飲食店とライダーハウスをやりつつ、カヤックガイドになる夢にむかって色々やって、なんとかショボイながらも形になったのよ。

 社会がどこに向かっていくのか?っていうようなビジョンはあまりないわね。 ただ、博物館めぐりが好きで、先祖の足跡なんかを見ていると、確実に前進してきたのね。 私たちの社会は。 これから先、ありとあらゆる情報の共有化が、いろんな職種を破壊して、いろんな職種が誕生するんでしょうけど、私たち個人にできることは、情報をかき集めて、ネットにアップロードするって事じゃないかしら? それが、おそらく社会の前進する方向なのは間違いないと思うわ。

 また、アベノミクスなどのインフレターゲットは世界同時レベルで進行していて、いまだ日本円は安全通貨としての位置にいるけれど、それはいつか崩れていくんじゃないかしら? おそらく、ビットコインのような仮想通貨やUSJの発酵するあたらしい通貨のような「 国境を越えた通貨 」が既存の価値観を変えていくと思うのね。

 つまり、「 いい大学にいって、公務員になれ 」が現代日本人の大人たちにとって、もっとも外れることのないベストアドバイスだと思うんだけど、ひょっとしたら公務員は日本円でしか給料をもらえないからヤバイ! って社会になってしまうんじゃないかしら? あ、でも、そんな社会じゃ警察や社会保障はどうなっちゃうんだろ?

 まあ、私の考える将来ってこんな感じよね? 

 でも、「 将来どうするの? 」って質問には、上記のような答えは期待してないんじゃないかしら? ここでいう「 将来 」って「 どうやって銭を稼いでいくの? 」って事よね。

 

 

 えーっとなにいってるかまとまらないわ。つまり、肝心なのは思考停止に陥らないってことよ。

 

 何かを隠れ蓑にして、自分の将来について考えることを辞めることが、おそらく生命としての一つの終焉なのは間違いないんじゃないかしら?

 

まとめ

将来について考えるには

 ↓ 

現在の自分の立ち居地を確認することが必要で

 ↓

そのためには、過去の出来事や歴史を知るべきである

 

ようするに、みんな博物館に行こう!

広告