読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ライダーハウス蜂の宿

なぜかオネエ言葉になります、ご利用案内→ http://hatinoyado.hatenablog.jp/entry/2016/01/29/235943

なぜやらない!?を自分にも

お仕事

他人を見ていて

「 ・・・もったいないなあ・・・ 」と思うことが少なくない。

それは、ライダーハウスという環境だからかもしれないが、

すばらしい才能や、環境や、時間や、行動力にめぐまれているのに、

目の前の果実に手を伸ばさない若者が結構いるのだ。

実にもったいない。

広告

 

「 将来はこんなことをやりたいけれど・・・ 」と言うが

遠慮して自分が出せないのである。 例えば「 写真で食べて行きたい 」

という人は結構いるけど、結局その世界には飛び込まなかった。

ハタから見て実力、情熱は十分にあるのに。

彼は勇気がなかったのだろうか? いや、違うと思う。

これは「 失敗が許されない空気 」の層を突き抜けることが

写真の腕を磨くよりも難しい案件だったということだ。

 

f:id:hatinoyado8:20160310110442j:plain

一人になることが出来ない

「 写真家になりたい! 」と言うことが第一段階だとしたら、

「 写真家になるにはどうすればいいですか? 」と聞きにいくのが

第二段階だと思う。 

これはなんでもそうだろう。

「 あの会社に入りたい 」と思うなら

「 あの会社に入るにはどうすればいいですか? 」と聞く。

だれかがエントリーシートの書き方や、人事部の電話番号をおしえてくれるだろう。

でも、聞くことが出来ない。 それはなぜだろうか?

おそらく、聞きに行くってことが、自分という個人的な表現だからだ。

 

自分を表現できないから、赤の他人とコミュニケーションできない。

 

自分を表現するというのは、日本人にとって低くて厚い壁だ。

学生だったら周りに2,30人の人間がいて、なにもしなければ危険がせまることはない。

上手くいけば、死ぬまで自分を表現しなくても生きていけるだろう。

何者でもなければ( 常に多数に身を隠せば )攻撃される確立は低いという、

イワシやアジと同じ心理的行動である。

 

その群れを離れて、誰かに何かを聞きに行く。 

笑われるかもしれない、失敗するかもしれないだろう。

群れに残ったイワシは「 ほら、やっぱり 」と笑う。

 

一人になるとはそんなリスクがある。

だが、コミュニケーションをしなくても生きていける世界のほうが歪だ。

それに、そろそろ気付くべきなのだ。

 

ただ、ひたすらに失敗を回避するためには、ディスコミニケーション状態になり、

誰かに何かを言われるまで、じっとしているほうがいい。

もし、何か言われても「 何も言われませんでした 」といえばいい

「 周りの人もそうしてました 」とか「 やれ、と言われませんでした 」

「 大丈夫かなって思いました 」「 誰も教えてくれませんでした 」など、

便利な言葉は多い。 責任は回避され、失敗はなくなる。

 

 そんな技術が熟練されている、と、思う。

 

自分も

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。より

モーニング娘の最終選考

 ↓

数名の女の子に、トレーナーがつく

 ↓

しかし、女の子が没、心を開けない

 ↓

まわりは困惑「 なぜ!? 」と叫ぶ

 ↓

それでも、女の子の心は開けない

 

という話。

モーニング娘の最終選考に残るんだから、一握りの能力を持った子供たちなんだろう。

しかし、自分から心を開いて行動することは出来なかった。

そこで動き出せば、最終選考を勝ち抜くことはたやすかっただろう。

でも、しなかった、なぜか?

 

おそらく、そこで女の子たちは周りが見えちゃったんだと思う。

いままでは大勢のライバル、その中の一人に過ぎなかったけれど、

数名の「 おんなじ人間 」である最終選考のライバルは、ある意味

「 仲間 」であることに気がつく。

ここで勝ち抜くことは、だれかを蹴落とすことになる。

それは「 仲間 」に嫌われる恐怖も付いてくる。

この恐怖は強い、おそらく夢よりも強い。

 

ライダーハウス利用者も98%個人旅行者だ。

たまに、複数名の利用者がいるくらいだが、「 大丈夫? 」と思う

値段の安さから、全員の合意でやってきたのかもしれない。

でも、それは表面上の理由で、

「 本当はまともなところに泊まりたいけど、同行者の意見がわからない 」から

とりあえず、一番安いところに来た。 ってパターンも多い。

お互いの顔色を伺って、「 自分が我慢すればいい 」といい人になってしまうのだ。

はっきり言って誰も得しない。 

多人数のお客さんを見てると、そんな押しつぶされた意見の香りをたまに感じる。

 

 それに、自分だってそうだ。

今年、いままでやってきたカヤックの値段を上げることにした。

いままでの値段ではやるきが出なくなってしまったからだ。

「 このまま自然消滅するのか? 」と自分に問いかけたところ、

「 それだけは勘弁してくれ 」ということだったので、モチベーションのあがる

値段にすることにした。

 

それに、安くやっていた一番の理由は、専門のアウトドア屋さんに迷惑をかけたくなかったからである。

 

そんな理由で、ほそぼそと美瑛川でカヤックをこいだ、10年ほどこいだ。

アウトドア屋さんには一人も出会わなかった。

当然だ、みんな生活がかかってる。 カヤックなんて不採算なイベントに、

時間と労力を消費するわけには行かないんだろう。

 

昔、美瑛川でカヌーガイドをやっていた人に出会ったことがある。

やはり、事業として、人を育てて、採算化するのは難しかった。 と言っていた。

 

・・・・そろそろいいだろ?

美瑛川のカヤックといえば僕ってことでいいだろ?

嫌われるかなあ? 怒られるかなあ? 

でも、怒る人や嫌う人がいたとしても、あなた、ここにいなかったじゃない。

本気でやる人が出てきたら、個人の趣味に戻すつもりだったけど、

だれも本気でやる人は出てこなかった。

 

そんな思いで、「 今年は値上げします 」って人に話してたら

「 やっとかい 」と言われた。

わはは僕も、「 なぜやらない!? 」て思われてたんだろうなあ。

広告

 

広告を非表示にする