ライダーハウス蜂の宿

なぜかオネエ言葉になります、ご利用案内→ http://hatinoyado.hatenablog.jp/entry/2016/01/29/235943

旭岳に紅葉を撮りに行ったら、なぜか牛を撮っていた件

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

ドローンを使って旭岳の紅葉を撮りに行こうと出かけて見ました。

でもなぜか牛を撮っていた話です。

ギャラリー秋 | 大雪山旭岳ロープウェイより

旭岳の紅葉は今が見ごろ

「今、裾合平が紅葉のピークだよ」

と山の先輩Oさんが教えてくれました。

旭岳の裾野にある裾合平は大好きなところです。

5月にスノーシューでも行きました。

 

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 「それじゃあ行ってみますか」

とかるーい気持ちで旭岳のふもとまで行ったときです。

「この人たちは・・・・?」

ロープウェイのかなり手前の駐車場からハイカーがぞろぞろ歩いているのです。

誘導員がいたので話を聞くと

「この時期はあまりに混雑するのですべて有料駐車場になる」

ということでした。

駐車場代500円は別にいいのですが、あまりに人が多すぎるのは・・・うーん、熱が冷めました、やめましょう。

 

ただ、せっかくのアウトドア装備、そして最近運動不足なので(特に足)体にキアイを入れたい。

「そうだ、野鳥の森にいこう」

と思いつきます。

野鳥の森は美瑛の白金地区にある、森の中の野鳥観察スポットです。

ただ、その道は青い池と同じなので、かなりの渋滞が予想されました。

「よし、回り道だ」

と共同牧場ルートを取ります

「この先通行止め」

となってました。

再び戻って野鳥の森に行く熱が冷めました。

でもせっかくなのでドローンを飛ばしたら、結構面白かった。

「結局、これでよかったんじゃね?」

という今日の結論です。

 

 

電話のコツは「自分が何者で」「なぜこの電話をかけているのか」

ライダーハウス蜂の宿のノザワです

私は電話が結構好きで、情報を得るときには「まずそこの電話番号を」調べたりします。

ネットには乗っていないダイレクトな情報を得るには、やはり電話は強いです。

電話をするときのコツは

「自分が何者で」

「なぜこの電話をかけているのか」

から説明すれば、あとは流れで何とかなるもの。

最低限の敬語を使えば、こんなに使えるツールはないでしょう。

 

ただ、電話を使った営業もいまだに行われていて、忙しい時にくる営業電話はイラっとするものです。

そんなときも前述のコツ

「あなたは誰ですか?」

「どうしてこの電話をかけているのですか?」

というところを突いてあげれば、時間の節約にもなるのです。

 

そしてライダーハウスをやっていても、電話はとても便利です。

今季から電話予約を受け付けないで、飛び込み優先にしましたが「ベッドの空き情報」を問う電話が結構あります。

だいたいの感覚で「何時ころまで来れれば、大丈夫」というようなことは言えるので、お互いメリットがあるのです。

もちろん、こちらは店側ですので下手になるのですが「それにしたって・・・」という電話がたまに来ます。

私の立場から偉そうなことは言えません、もしそう感じたのであれば申し訳なく思います。

そのことを踏まえていただいて、電話の使い方のダメな例を上げさせていただきます。

 

第一声が「あのね~」

電話での第一声は数パターンしかありません。

1、自己紹介

2、ちょっとお伺いしたいのですが・・・

おそらくこの二つでしょう。 

ですが、先ほど

「あのね~」

から始まる電話を受けました。

いくら客と店といえど、他人にする電話の第一声にはふさわしくありません。

「あのね~」から会話が始まっていいのは、小学生以下でしょう。

本人にお会いしてみたら、恰幅の良い初老の男性でした。

「ナビが壊れ、スマホが上手く使えず、どこにも行けない」

ということでした。

「ビジホは寂しい、ペンションは高い、でもここは汚い」

ということでほかのライダーハウスを目指して旅立たれました。

きっと仕事上では素晴らしく位が高く、それでいてフランクなコミュニケーションを 武器とされてきたのでしょう。

多くのビジネスマンが、彼と接点を持つことを目指しているのかもしれません。

だからこそ「あのね~」から始めることができるのだと思います。

 

自らの意思を絶対自分から言わない

こんな怪しいライダーハウスなのでしょうがないのですが、

「とりあえず見学していいですか?」

という人がいます。

もちろんすべて見てもらって構いません。

電話でも「今日そこら辺に行くのですが、営業していますか?」という問いかけがあったので「大丈夫ですよ」と答えると「じゃあ行ければ、立ち寄らさせてもらいます」とのことです。

そんな風に「ふんわり」としたニュアンスでやって来る人はいます。

ライダーハウスにはけっこういろんな人がやってきて、利用者だけでなく「懐かしかったから」とか「友達がいるかも」などさまざまです。

利用者ばかりではないので、あまり積極的に声をかけることはしません。

それに、雰囲気をみて「やっぱりやめよう」と思うのも当然だと思います。

「見学」の人は4時間後くらいに「料金を払いたいのですが・・」とやってきました。

「立ち寄る」ひとは、最後まで自分の意思を言葉にしませんでした。 こちらから「あなたの意志を確認したいのですが」となって、ようやく案内できました。

電話でもなんでも、なるべく自分の意思を明示するって大事です。

それもなるべく早く明示することで、相手の時間を奪うことを減らせます。

 

※※※

 

えらそうなことを書いてしまいました。

でもきっと、誰かの栄養になるとおもうので書かせていただきました。

私の好きな小説「探偵はBarにいる」で

「会話のレベルを設定したのはそっちだろ?」

と主人公が言うセリフがあります。

つまり通常の会話というのは平地のコミュニケーションなのです、「あのね~」から始まる会話は「うんとね~」と返すのが自然でしょう。

 

言葉というのは道具なのです、道具なのですから上手に使わなくてはいけません。

 

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自由になるためには

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

「自由であること」はとても大切なことですが、なかなか難しいことでもあります。

なぜなら自由であるためには、ある程度のお金が必要です。

お金を得るためには、労働者は働かなくてはいけません。

働くということは、時間や労働力を売るということです。

それはやればやるほど自由から離れていくといえます。

だから「そこそこ働いて、やりたいことができるくらいのお金がある」

ことが理想なのでしょう。

 

だから我々は自由であるために、成るべく効率の良い金稼ぎ(仕事)を見つけなくてはいけません。

そのために頑張って勉強してきたリ、就活してきたのです。

ですが「金を稼ぐこと」自体にとらわれすぎて、本来は自由を獲得するための手段であるお金が、「自由であること」よりも優先されるケースがよくあります。

 

そうなってしまう原因は上ばっかり見ているからだと私は考えます。

もっと自由を

もっと、もっと、もっと

使い切れないくらいのお金に囲まれ、老後は何もしなくてもいいように。

そんなかなうことのない庶民の夢にとりつかれているから、大切な自由を見失ってしまうのではないでしょうか。

われわれは夢から覚めるべきです。

人間はいつか必ず死ぬし、働けなくなったらゲームオーバーになることは珍しいことではありません。

社会にとって労働者の命に価値はないのです、価値があるのは労働力であり命自体は0円であると言えるでしょう。

そんな社会で自由に生きるには、上ばっかり見てはいけないのです。 

ちゃんと下も見ておきましょう。

ということで、今日も裁判傍聴について書きます。

 

 

「なにをすればいいのか」ではなく「なにをしてはいけないのか」を知る

現在の成功者のイメージは、過去に比べて変化してきていると思います。

昔はバリバリ働いて、リッチになることが成功者のテンプレでした。

ですが現在では「自由であること」が成功者に必要なイメージです。

今年であった若者たちの中には「職場の空気が死んでいたから」退職したり内定を蹴ったりした人がいます。

自分の自由を売ってまで「その会社にいたい」とならなかったのです。

それだったらお金よりも自由を優先するのは自然なことでしょう。

どんなエリートサラリーマンでも仕事でウツになったりすることがあります。

ブラック企業が問題になっても、それが無くなることは無いと言われています。

だから「ここは無理」と思ったら、さっさとやめたほうがベストな選択だと私は思います。

自由になるためには上司や成功者を見てはいけません。

見るべきは下、すなわち「なにをやったらいけないのか?」です。

 

自由になるために裁判傍聴をしよう

私たちは「努力しなくてはいけません」と小さい時からおそわってきました。

「我慢しなさい」とか「空気を読みなさい」とか「みんなで力を合わせましょう」と教わってきたはずです。

なぜでしょうか。

もちろん立派な社会人になるためです。

ただ、ここには重要な視点がありません。

それは

「努力しなかったらどうなるのか?」

という実例です。

「我慢しなかったらどうなるのか?」

「空気を読まなかったらどうなるのか?」

「自分勝手にやったらどうなるのか?」

どうなるのでしょう?

その実例を教育機関は示すことができません。

あくまで上を示すだけです。

それは首にコルセットをつけて上しか見上げれないようにしているようなものです。

それは自由とは言えません。

自由になるためには

「努力してこなかった人間」

「頑張らなかった人間」

「我慢できない人間」

がどうなるかを知ることです。

それを知ることができるのが裁判傍聴なのです。

 

 裏側の人たち

裁判傍聴をすると「なぜこの人はこのような犯罪を犯してしまったのか?」という局面を説明してくれます。

そこにはどうしようもない理由もあったのかもしれません、ですが「我慢できずに」やってしまったり「努力できなかったから」そこに立っていたりします。

裁判傍聴をすればきっと痛感するはずです

「努力って大切」とか「我慢って大事」などを。

それは結局、小さい時から教わってきたことなのです。

ただ言葉だけでなく、実例として目の前にいるってことが違います。

その過ちの重さ、深さは目の前で見ないとテレビドラマと変わりありません。

リアルであることが重要なのです。

努力の大切さを本当に知るためには、努力してこなかった人を知ることです。

我慢も、協調性も、お金の大切さも同じです。

それをないがしろにしてしまった人たちがどうなるのか?を知って初めてその価値に気づくと言えるでしょう。

 自由になるためには

自由になるためには、それなりの努力をしなくてはいけません。

欲しいものを我慢したり、嫌な人と顔を合わせなくてはいけないこともあります。

逆に言えばそんな事だけ守っていればいいのです。

ちゃんと努力したり、身の丈に合った生活ができるのならあとは自由です。

会社を辞めようが、ユーチューバーになろうが自由なのです。

最低限の我慢や、順法精神などがあれば、誰だって何をしたってかまいません。

何をしたっていいんです、それには「何をしたらダメか」を知る必要があります。

それは例えるなら人生を真っ白なキャンパスに見立てることです、そこに何かを書くにはまず、キャンパスの大きさを知らなくてはいけません。

キャンパスの内側だったら何を書いても構いません、自由ってそうゆうことだと思うのです。

 

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静かになり恐怖に襲われるが裁判傍聴のおかげで「強くなった」と感じた話

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

9月も中旬に入り、ライダーもめっきり減りました。

今日は新しく入った人はいませんでした、連泊の人だけのライダーハウスです。

そして忙しいときにはまったく感じないのですが、暇になるとやってくるのが「恐怖」です。

「これから収入は減っていくのに大丈夫?」

「さらに今年はアルバイトもやらないんだよ?」

「ねえ、大丈夫?大丈夫?」

と目に見えない幽霊のように恐怖はささやいてくるのです。

あまりに恐ろしくて逃げ出したくなるのですが、今年の私は一味違います。

自分で「強くなった」と思うのです。

どうして強くなったのでしょうか。

それは裁判傍聴に行ったからです。

 

※※※

 

なにか新しいことを始めるときには、必ず恐怖がやってきます。

それを打ち消すにはワクワクとか好奇心が必要です、ダメージを受ける覚悟も必要かもしれません。

「冬の間、ネットの仕事ですごしてみる」

というのはそこそこのダメージがあるでしょう。

収入は激減するでしょうし、数少ない冬のアルバイト先を失うことになるかもしれません。

それでも好奇心が踏み切らせてくれました、あとは恐怖のささやきと戦うだけです。

でも私には裁判傍聴があります、裁判傍聴をやって強くなったのです。

たとえネットの仕事がうまくいかなくても、もっと上手くいってない人が必ずいます。

先日見た裁判では「精力剤を買ったら訴えられた」男性がいました。

あの被告に比べたら、私がこれからどんなに失敗をしても「軽症」でしょう。

たいしたことはないのです。

 

暇だったので今日から居酒屋も通常営業にしました。

居酒屋をやっていると「どんなヤバイ客がくるか」恐怖にとらわれることがあります。

これはサービス業をやっているひとなら、一度は経験するでしょう。 突然、むしょうに客が恐ろしくなるのです。

でも、裁判傍聴で見てきたような人はきっときません。

午前中に万引きして、午後にまた万引きするためにやってくるような人間はきません。

せいぜい人を殺したヤクザくらいです、それもたいていおとなしくしてます。

幻覚と幻聴に悩んでいる人も来ません、統合失調症で突然いなくなる人ぐらいです。

有印紙文書を偽造する人も来ません、覚せい剤をついつい打っちゃう人もきません、20年不倫している人ぐらいはくるかもしれませんが、居酒屋営業には問題ありません。

つまり、裁判傍聴で見てきたような人間は来ないのです。

たいしたことはないのです。

 

裁判傍聴は下種な趣味かもしれません。

結局、自分は安全な「合法」の柵の内側にいて、外側にいて裁かれている被告を見るのは「セーフティー」である愉悦がともなうからです。

でもいいことだってあるんです。

「こんな人もいるんだ」というリアルな体験は、自分の幅を広げてくれたと思うのです。

人間関係に悩んでいる人がいるなら、ぜひ裁判傍聴に行くことをお勧めします。

あそこには、そこらへんにいる「小物」や「小悪党」はいません。

「超小物」か「悪党」がいます。

彼らに比べたら「小物」や「小悪党」は善良な市民といえるでしょう。

たいしたことはないのです。

 

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