モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

書かなければ

何かを書きたい何かを書きたい


いま、東大雪の山の中、ニペソツ山登山口でこれを書いている。

初めにまず、これを書き始めた理由について説明しなければいけない。書かなければ、と感じたのだ。それも、ネットのつながらない山の中だからできること。情報を一切入れず、自分の中にある物を文章にする。それがいま、なによりもやりたいことだからだ。

次にここにいる理由を説明する。もちろん登山の為にやってきた。ニペソツ山は何年も前から狙っていた山なのだけれど、そこに至るまでのアクセスや林道崩壊などが重なり来れなかった。

仕事を変えたことも大きい要因だ。ライダーハウスと居酒屋をやっていたときは、夏は猛烈に忙しく楽しかった。だが遠出はそんなにできないし、夜までには店を開けなければいけない。10年やったけど、最後の方は不自由や狭さを感じていた。

それになにより貧しかった。いま、介護施設で月15万円で働いているが、それでもリッチに感じられるほど貧しかった。車なんて買えた物じゃなかったし、空白の時間はすべて仕事に埋めていた。ふとした縁から車を安く購入することが出来、自営業も潰れてしまった。

今の仕事を初めて1年。なんとなく慣れてきたという所だ。ここまで自己紹介したところで、なんとなくお分かりだろう。自分は常に何かをしていないと気が済まない性格だ。だから落ち着いて自分の人生を文字に落とし込むなど、そんな豊かな時間をとることができない。

今、なのだと思う。ネットもつながらない山奥で。自分の人生を振り返りたい。

1.保険営業時代

人生を振り返るとき、どこから始めればいいかは自由だろう。私の場合、保険営業をしていた瞬間から何かが始まったと思う。それまで大学を出て、スキューバや海外旅行、パラグライダーやカヤックなどで遊び、公務員試験を経て郵便局に拾ってもらった。

最初は配達をやり、それから保険と貯金の営業に回った。厳しい道だろう。と予感はしていたが、案の定厳しかった。

初めて見てわかったのだけれど、私は生命保険がまったく好きではない。女にモテず、家族を作る予定も白紙だったので、生命保険が必要になるシチュエーションが心の底から理解できなかった。

だが、努力はしたと思う。そもそも、口下手をなおしたいという意味もあって営業を希望したのだ。なんとか人前でしゃべり続けることはできるようになったが、それと契約させることは別問題だった。

職場の先輩や上司も特殊な人たちだった。どろどろとした人間性を隠すことなく吐き出している妖怪。まだまだフレッシュな私にはそう映った。彼らからいろんなテクニックを学んだが、どれも身につかなかった。精神を病んでいく道に乗ってしまったと思う。

無理もない、この20年後の現在、郵便局のかんぽ生命の営業方法は社会問題までなっている。当時はそんなこと知る由もなく、頑張って目についた家家に訪問し続けた。そして断り続けられる。

そして辞めた。辞めると決意したときの気持ちを今でも覚えている。営業車に乗って川沿いにのりつけ、ひたすら自分の顔をバックミラーで見続けた。いい顔をしていると思った。

2.兄と自営業

辞めた後のことを周囲に話さなければならなくなった。せっかく大学まで出してもらい、やっと就職したところなのだ。親にとって衝撃だっただろう。「もう、悪い事をしたくない」と言い、父親だけはそれを理解してくれた。

どこか北海道の田舎町で、コンビニバイトでもしながら生きていこうと思っていた。もう地元にはいたくない。嫌な思い出がそこかしこに詰まっているからだ。そこで考え出したのが「社長になる」ということだった。もちろんハッタリだ。コンビニでバイトしながら、好きなカヤックを貸す事業をやると嘘をついた。

これなら、北海道の田舎に移住するのも無理はない。そのプランを紙に出力し、配り続けた。それに食いついたのは自分の兄だった。兄はすでにカフェレストランのオーナーとなっており、次にゲストハウスを設立する予定だった。

そこに自分がぽこんとはまったのだ。飲食業への急展開。料理を作り続けた。最初はへたっぴだったけれど、練習し続けるとイイ感じにできるようになった。オーダーが重なった時も、なんとかこなせるようになる。

ゲストハウスはライダーハウスという北海道的な営業形態でやることになった。夏、北海道ツーリングにくるライダー専用の宿である。

このライダーハウスを初めて分かったことがある。自分は、これに向いているということだ。

ライダーハウスは3年続いた。3年目に道路拡張があり、立ち退きをしなければなからんくなったのだ。兄はもともと、これを狙っていたのかもしれない。業者が入り、営業補償などの交渉がすすめられたようだが、自分は焦っていた。このまま兄についていくか、それとも1人でやっていくか。。

こまりながらも、カヤックで川下りなどをしていた。この時すでにお客さんをナンパしてカヤックツアーをやっていた。その時にどうしても電話に出られなくなる。そのことで、カヤックをとるか、兄との仕事をとるかという2択になった。郵便局を辞めた時の気持ちを裏切りたくなかったので、カヤックをとることにする。

少し離れた田舎町によく川下りしにきていたので、その街で空き物件を探し、ライダーハウスを始めてみようと思った。

ライダーハウスならば、自分は無敵だとおもった。これなら生きていける。美瑛へ驚くほどあっさりと物件が見つかった。そして交渉も超あっさりだった。初めて会って、その1時間後に決まった。そこはもともとライダーハウスだったのだが、オーナーが高齢になり営業していないのだった。なんと施設内に電車がおいてあり、そこは飲食店として使えるという。まさか、居酒屋のスキルが生かせるとは思わなかった。怖ろしいほどトントン拍子に話は進んだ。

そのまま10年、ライダーハウスと居酒屋を経営した。先述の通り貧乏だったが、何も不満は無かった。そもそも、自分に経営などできるわけがないと思っていたのだ。それよりも、早く死んでしまおうと思っていた。保険営業時代にやった悪い事の罰を受けなければならない。だが、やってくるお客さんは死なない程度に私を生かしてくれる。「生きろ」と言ってくれるような気がした。だれだって人生をけずってお金を得ている。それを分けてくださるのだから、それは「生きろ」というメッセージも内包されているだろう。

この贖罪の話を、ライダーさんにしたことがある。普段はそんなことしないが、その人は超特殊なオーラをまとったおじさんだった。話す内容もわけわかんない。だけどどこか深い所でつながっているような感じ。占いをやるという。実際占ってもらったが、3かけ3の9文字の漢字を書いて「やめよう、あんたに話してもわからない」と言われる投げっぱなしジャーマン。「ああ、それはもういいんだ」と保険時代の贖罪について言われる。占い師。特殊な仕事だ。

閉業と副業

ライダーハウスと居酒屋だけでは生きていくのが大変なので、副業を始めることにした。グーグル先生が生み出した、奇跡のシステムに乗っかる形。つまりWEBライターだ。最初は当然上手くいかなかった。だが、少しづつ、本当にすこしづつなんとか食べて行けるだけの仕事にありつけることが出来た。

毎年の冬、シーズンオフはアルバイトに行っていたのだけれど、これで冬を越してみようと思った。1日12時間以上PCと向かい合い、脳みそが酸っぱくなるまで文章を書いた。そんな冬を2回越した。

あいかわらず、限りないほど貧乏だけど、借金もせず生きている自分が面白かった。ライダーハウスSNSの発達により、ほとんど営業活動をしなくてもよくなった。勝手に楽しんでくれるから、こちらとしてもやりがいがある。

閉鎖した今だからわかることだが、きっと今やっていたらライダーハウスは宿泊料とは別の収益をたたき出していたはずだ。それほど、インフルエンサーな存在に成っていた。

だが、終わりは突然訪れる。役場のHPに無許可営業の宿泊施設があると書き込みがあったのだ。すぐに営業を辞め、工場で働くことを決めた。そして期間工を半年やり、ライダーハウス復活への道を探り始めた。

民泊や旅館業について調べたが、とにかくこの物件を自分のモノにしなければ話が始まらない。出来る限りの金額を提示したがダメだった。

借金をしてまでやる事業ではないのは、いくら自分でもわかった。そんなとき、ずっと付きあっている彼女がフリーターから無職になり、失業保険が切れるから就職するという。それも今住んでいる実家を離れ、こちらに来てくれるのだ。

就職

それまで自由にさせてくれた恩を感じている。幸せにしなければという、男の使命感もある。とにかくダメもとでもいい、ハローワークで仕事を見つけよう。アルバイトや期間工では稼げるかもしれないが、信用は得られない。信用が無ければ、結婚もできないだろう。

こうして、実にあっさりと介護の仕事にありつけた。介護の仕事はキツイ。だが、保険を売るほどではない。必要とされているし、感謝もされる。それで充分だった。そして、仕事を得ると同じころ、家も得ることができた。

人生の転機に現れる人、兄が紹介してくれた物件を購入することが出来た。「持ち主、連絡衝かないんですよー」と不動産屋が言った。こっちも軽いノリで「220万のところを120万でどうですか?」と大胆な割引交渉。渋い顔をした不動産屋。しこり玉を排除できるなら・・という感じで「わかりました、連絡とってみます」と言う。その日の夜に電話がかかってきて「あの家に縁がありますよ!交渉成立しました」と言われる。彼女と顔を見合わせて笑った。あはははは!!家買えちゃった!!あははははは!!!まじで!!!!こうして新居をゲットした。

築半世紀だが、ライダーハウスよりはぴっかぴかの物件である。ここからバイクで3分の職場に通っている。仕事も慣れ、今では夜勤も任されている。緊張。だが居酒屋で料理を提供したときも緊張していた。あたりまえのことなのだ。それよりも、夜勤は2日分の仕事になるうえ、明けから連休がもらえ、しかも5千円くれる。体感的にとても休みが多くなったと思う。こうして、夜勤明けに数時間睡眠をとり、移動日として山にやってきた。いま、深い森の中でこれを書いている。