モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

知床沢登りからのテン泊登山:イワウベツ川→硫黄山

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2年前に、斜里岳登って、次の日に羅臼岳を登ったことがある。その時、Oさんと一緒に羅臼→硫黄山の知床連山縦走ルートを歩く予定だったのだが、斜里岳で足がやられて羅臼岳ピストンにした。Oさんだけは硫黄山まで歩き、自分は車で迎えにいくというものだった。

「キツかった」とさんは言った。この人が言うのだから、そりゃキツいのだろう。現地で車デポのサポートにまわった自分の判断に安堵した。

が、心残りがある。あの知床の屋台骨を歩けるルートがあると知ってしまったからだ。いつか、行きたい。そう言い続けていたら、Oさんが1泊プランで提案してくれた。2年越しの願いが叶うのだ。

この日のために足をつくり、ギアを整えた。準備は万端。夜勤明け、Oさんの車でNさん、O女史をピックアップし知床に向かった。

1泊装備を背負って沢に入る。いままで沢登りは軽装だったけど、1泊装備を背負うとかなりきつい。登山道ではないから、枝が絡みつき、前進をとめてくる。体をひねりながら進んだ。

沢は美しかった。大きな滝がなんども現れ、それに感動する間もなくまき道をさがす。なんといっても長丁場だ。いちいち感動している時間はない。

息が止まり、唾を飲み込むような美しさの滝があった。

温泉成分でピンク色の岩と水色の水、メルヘンチックなカラーだった。

「ここは落ちたくないね」という10m以上の崖の上にへばりついていた時、足元が崩れ2mほど滑り落ちた。ひっしで土をつかみ、草をつかみ、何とか止まる。O女史が「ダメかと思った」と驚いていた。自分もダメかとおもった。もし落ちていたら、死んでいたかもしれない。

沢のどん詰まりは雪渓だった。そこからはさらに道は狭くなり、枝は絡みついてくる。体力がすべて奪われていく。

8時間ほど沢を登り、夏道にでた。それから2つ池に行く。体力はもう完全に使い果たしていて、20歩あるいて、ぜーぜー休憩する感じ。

先行する3人に遅れまくってキャンプ地到着。あこがれの知床どまんなか。夕日が出るまで起きている予定だったけど、誰よりも早く寝てしまった。

深い眠りから覚めると、朝日が昇るところだった。なんとか体が動く。今日も長い。

重い荷物をすべてOさんに持ってもらう。だが、それでも自分の歩みは3人の足を引っ張るスローさ。くやしさとなさけなさをたっぷり味わいながら登る。

チエンベツ岳にたどり着いたころ、目の前の景色に心を奪われた。これから向かうルートは稜線歩き。だが、その稜線はこれまで見たことのない美しさ。白い山、巨人の指のような石柱、ドローンで撮影して進む。強い横風がきたら吹っ飛ばされるだろう、そしてそうなるとがけ下に落ちる。そんな道だった。

チエンベツからの稜線が終わり、硫黄山に向かって下がっていく。難所といわれる雪渓にむかった。雪渓は広く長い。すべってしまうと、どこまで行くかわからない。なので一番狭く、斜度もないところまで降りる。

雪渓が終われば少し安心。重い荷物を岩陰において、最後のピークに登っていく。硫黄山がそびえていた。蒼い空に岩があった。ニンゲンかカモシカでなければ登れないような垂直の岩を登る。

最後のピークに登ってしまうと、あとは下るだけだった。といっても長い。下りだけで3から4時間。「もう、とにかく荷物をできるだけよこせ」とOさんに言われる。それでも、ついていくことができない。

10歩歩いては喘ぐスピードで降りる。太陽光線は強く体を焼く。水が尽きた。

うらめしい気持ちで目の前の登山道をにらみつける。

まだ、終わらないのか、という気持ちと、もう終わってしまうのかという気持ちがある。

知床が終わってしまう。

木々の間からアスファルトの色が見えた。

登山口まで落ちるように歩く。

木陰でタクシーを待つ。

タクシーがやってくる。「どうぞ」と大五郎にキンキンに冷えた水が入っていた。

それを飲むと、体が回復するのが実感できた。

岩尾別温泉の露天で汗を流し、ウトロのコンビニで水分を補給。あとはずっと車で寝させてもらった。

自分の限界を知った旅だった。くやしくもあり、なさけなくもある。

知床を自分の足で踏んだとは言えない。また、いつか。

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