甲状腺をビートすることでしかつけないウソがあると知った19才の夏、あなたは何をしていましたか?僕はエロ本から香るインクの臭いから女性を演繹法でイメージすることを極めていました。ごきげんよう、あなたの心の一生使わないカメラフィルター、タンジェント高木です。
「つーか、今度結婚するかも・・・」
「え?お前、彼氏いたの?」
「うん、だからその人に告白されて」
「いつから付き合ってたの?」
「3年前」
「俺と知り合った後じゃん」
「でも、私たちただのセフレでしょ」
「でも、おまえはオリエント工業製のドールじゃん」
「ドールじゃないよ、アンジェだよ」
「好きにしろよ」
という子芝居をしてからNTR的なレイプ願望をかなえることに成功した千葉の武田さん(67)は、こじらせたプレイから天啓を得て、小さな新興宗教を立ち上げることに成功しました。唯一無二の性的志向はその道の変態に支持され、今ではすしざんまいの木村社長のようにはま寿司の店頭に飾られることを検討されているのだとか。
さて、日記です。
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本当の恐怖とは何だろうか?
昨日読んだまとめサイトでは、日常から呪われてそっちの世界に引きずり込まれるって話があり、面白かった。
ここに出てくるように、狂った老女とか、除霊の先生とか、古い神社仏閣とか、お札とか、お経とか、いろんなパーツがあって、それらを組み合わせることで恐ろしい話になるようだ。
だけど、毎日狂った(と昔は思われていた認知症の)老女と接する仕事をしていると、リアルはもっとあっけらかんとしているんじゃないかと思う。そりゃ、いきなり認知症の老女と出会ったら怖いだろう。暗い夜道で、失語症で、徘徊していて、話のつじつまが合わなくて・・・って体験は昔からきっとあるはずだ。
知識と慣れだとおもう。認知症だとわかってしまえば、老女なんて怖くないし、夜勤中にぼやっとでてくる人っぽい影とかも「あ、先日亡くなったあの人かな?」って思うし、せっかく遊びに来たんだから感謝のひとことぐらいあってもいいじゃないっすか、俺けっこう頑張りましたよ?ってちょっと思ったりとか、あ、霊だから言いたくても言えないのかと思ったりとかしてる。
さて、本当の恐怖とは何だろう?
それは誰かの殺意なんじゃないだろうか?
たとえば、先日、とある博物館の国宝展に行ってきた。そこにはいくつもの国宝がだらだらと配置してあり、中には刀剣のコーナーもあった。童子切とかの名刀はとても美しい。身が厚く幅も広く、白く反っていて、とても殺意に満ちていると思う。目の前でこれを抜かれたら、こちらは抵抗する力を失ってしまうんじゃないだろうか。
でも、もっと恐ろしいものがある。それが脇差だ。太刀に比べると短く、リーチの短さは戦闘力の低さとなる。太刀と脇差で向き合ったらとても不利なのは間違いない。だけど、脇差の本懐はそこではない。見せてビビらすことはやらない。ただ、殺すためにある。その短さこそが殺意だ。
その理屈で行くと、脇差よりも恐ろしいのは仕込み刀で、仕込み刀よりも恐ろしいのはただの木の棒とかじゃないか。武器は戦闘能力が低いほど恐ろしい、そこには殺意が必要だからだ。
そして、木の棒よりも拳のほうが恐ろしいし、成人男性の拳よりも、狂った老女の手のほうが恐ろしい。