モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

死刑囚木島佳苗のやったことと今やってること

死刑囚がブログを更新しています。

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木島佳苗という女が起こした事件というのをあまり知りませんでした。

裁判傍聴に関する本を読んでいたらこの本に出会い、その内容にとても驚きました。

 首都圏連続不審死事件として話題になったのはなんとなく覚えています

首都圏連続不審死事件(しゅとけんれんぞくふしんしじけん)とは、2007年平成19年)から2009年(平成21年)にかけて発生した連続不審死事件。さいたま地方裁判所における事件番号は「平成21年(わ)第1809号等(詐欺、詐欺未遂、窃盗殺人)」。

婚活(結婚活動)を利用した事件であることから、「婚活殺人事件」、「婚活大量殺人事件」、「婚活連続殺人事件」などとも呼ばれている。

 

首都圏連続不審死事件 - Wikipedia

 

婚活サイトに登録して、次々に男を落とす手腕。北海道出身で親は地元の名士だったといいます。東京で男を騙して殺しまくりました。その強さにあこがれる佳苗ガールというファンも存在したらしいです。

木島死刑囚はそんなに美人ではありません。ですが「男を落とすための女性らしさ、優雅さがあった」と本では語られています。ターゲットは女性に縁のない男性でした。70代の人から老後資金を全額ぶんどったり、被害額は何千万にもなったといいます。

※※※

なんかわかる。私も実家から郵便局に出勤していた5年間はまったく女性にもてなかった。それよりも仕事をなんとかしないといけない。人生における優先順位は仕事の方が上だった。

郵便局を辞めることができなかったら、きっと女性にもてず淡々と貯金していただろう。そこに被告のような「俺にはこの人のいいところが分かるぜ」と思われる女性が現れたら、お金なんて全部あげてしまうかもしれない。

そんな男を騙しまくって、そのうち3人殺した。その罪で死刑が確定したのだ。

死刑を言い渡されたときの気分とはどんなものだろう?と想像する。本では「心の準備をしてきたようだった」と木島死刑囚がしっかりと判決を聞いていたと書いてある。

これはすごい。裁判傍聴を趣味としているけど、死刑宣告なんて聞きたくない。だって死ぬんだよ?殺すんだよ?いや、そりゃわかるけどさ。

裁判長も裁判員もきついよ。ユーアー死刑って言わなくてはいけない。小学生ならいえるかもしれないけど、小学生に裁判員はできないしね。

※※※

そんな木島死刑囚の内心ってどんなの?と思います。死刑を宣告されて受け止めることってできるのでしょうか?いまどんな精神状態なのでしょう?調べてみたらブログを更新してました。

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木嶋佳苗の拘置所日記より

さすがにネットは使えないみたいですが、外にいる支援者が死刑囚の文章をアップしているみたいです。

そのブログの内容はディープです。情報量が多すぎて読みにくいですが、獄中結婚とかしているようです。

すごいバイタリティーといえるでしょう。被害者遺族には申し訳ないけど、確かにファンがいるのもうなずけます。

死刑囚がブログ更新してるってすごい!という気持ちを文章にぶつけました。

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裁判傍聴のことを広めるのが社会的使命なのだ

汚いもの、醜いもの、つまり見たくないものは見えない。でも見なくてはいけないものがある。

 

「きょうも傍聴席にいます。」を読んだ。

 朝日新聞デジタルで連載されているコラムです。

「きょうも傍聴席にいます 」 - 社会 :朝日新聞デジタル

それの書籍化、母さんごめんもう無理だ・・・というのはこの本の中の一つの裁判からです。

それが壮絶でした。

 

73歳の子供と90歳のかあさん

介護疲れからの殺人事件でした。かあさんごめんと誤っているのは73歳の男性。痴呆の母を長年介護して、自分の体に限界が来たのを悟り殺人に踏み切ります。

「介護のプロに依頼することはできなかったのですか?」という質問に「いろんなところに相談に行ったのですが・・・」とどうしても折り合いがつかなかったようです。

家を退去しなくてはいけない日に母親を殺害。その2日後に心配した市の職員が様子を見に来ます。「あと2日待つことができれば・・・」と被告はうなだれます。

5年の実刑判決。殺人のなかでもっとも軽くなったとはいえ、人生の最後を刑務所で過ごさないといけません。

 

これは現実なのだ

高齢化社会、老々介護といろいろ言われていますがリアルに感じることができるのでしょうか。なかなかできないと思います。介護職でなければ、そのような介護を必要としている老人を待ちで見かけることができないからです。

本当に深刻な事態は家の中で誰にも見つからず起こっているのです。その数は間違いなく増加していて、この事件のような出来事がひっそりと行われているのでしょう。

殺人とまでいかなくても、旭川地裁で万引きを傍聴したことがあります。60歳の被告の職業は無職で

「親の介護をしています」

ということでした。

 

問題は徐々に膨らんでいてそれは他人事ではない

高齢化社会の問題を手っ取り早く実感するためには裁判傍聴が最適だとおもいます。リアルに実感できるでしょう。ひょっとしたら10年以上の介護をする必要が我々の人生の中で起こるかもしれない。それは事実であり、目をそらすことはできません。

その問題をクリアする方法はたった一つ「自分に合った職を見つける」ことのみと思われます。一人でどうにもならない問題は、社会に解決してもらうしかありません。社会の力を借りるには社会人として貢献する必要があります。

社会の力とはなにか?お金や信頼です。それらは自分だけでなく周りを幸せにするには絶対に必要なものなのです。

からしっかりと生きなくてはいけません。社会的使命をきっちりこなし、自分にぴったりの仕事を見つけるのです。問題は今は見えなくても、壁の向こう側でゆっくり大きくなっています。

裁判傍聴はそのことを知るのに最適なものです。それを広めるのが私の使命だと思いました。

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新しいクロスカブ50が似合う人はカッコいい

カブシリーズが日本生産に戻ってきて、クロスカブも新しいのがでました。

レッグシールドを小さくしたそのスタイルは、あのハンターカブを彷彿させるカッコいいスタイルです。いいなあ、ぐっとくる。

で、今回は50ccも発売されました。それがカッコいいなあという話。

 

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Honda | レジャーモデル「クロスカブ110」をモデルチェンジするとともに、50ccエンジンを搭載した「クロスカブ50」を新たに発売より

 

最大の特徴は14インチのタイヤでしょう。オフ性能を高めるにはタイヤ径を大きくした方が有利なのですが、クロスカブシリーズではそのような問題は関係ないでしょう。

なぜなら、タイヤ径が求められる環境では、カブは無敵だからです。

私は北海道の深川と旭川で郵便配達をやりました。冬だけ7シーズンほどです。その環境はまさにオフロード!夏の林道なんてかわいく思えるくらいの過酷な路面状況でした。

とくに大雪の日なんて

「すごい!バイクがスタンドなしで立ってる!」

「カブが立った!カブが立った!」

というぐらいの環境です。つまりそれぐらいの深い雪の中を突き進むんですね。

ざっくりと雪に突き刺さったカブを救出するには、2パターンあります。

1:強引にアクセルをふかしてターンする

2:倒す→起こす→倒すを繰り返す

つまりカブの軽さを足つきを使うのです。

 

だから小径タイヤの問題はほぼありません。

なによりデザインが素敵ですよね。特に、そう、われわれドラゴンボール世代にとっては。

 

ダックス!モトコンポ!そしてクロスカブ50!

ドラゴンボールの扉絵のような、かわいいメカ感がありますよね。モンキーやダックス、モトコンポのようなメカメカしいけどかわいらしい絶妙なデザインが素敵です。

これはかわいいなあ、普通免許で乗れるし燃費は普通に90キロを超えてるし・・・書類チューンをすれば30km制限を超えられますしね。

以前リトルカブに乗っていたのですが、普通に60kmは出せますしね。

街乗りでもレッグシールドが苦手な人に売れるのではないでしょうか。カブなのでリセールはいいから30万は価値がありますよ。

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運は存在しない

次やるべきライターの仕事が見当たりません。

「これは!」と思ったものに手をあげるのですが不合格。

「いったいどんな人が合格してるの?」と他の人のプロフィールを見ていたら

「TOEIC900点」

とか

「紙媒体で5年の経験あり」

などです。そりゃクライアントも私なんかよりこの人たちを選ぶでしょう。

 

ですが、自分の専門性を磨きたいので、ここはひとつ「無料でいいから書かせてください!」と行くべきか迷ってます。

 (全然関係ないけど旭川六花亭には犬がいます)

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そんなことを考えていたら「モーガンフリーマン時空のかなたに」で「運」についてやっていました。

統計学的に運というのは存在しなくて、それは偏りに過ぎないということです。

丁度ライターの仕事で運の流れについて書いたことがあったので、面白かったです。

いわく「人間は曲線的な確率変化を考えるのが苦手である」ということでした。

そのことがよくわかるのが、誕生日のパラドックスです。

「何人集まれば、その中に誕生日が同一の2人(以上)がいる確率が、50%を超えるか?」

誕生日のパラドックス - Wikipedia

この答、23人です。

つまり22人いる教室をイメージしてください。ガラッと教室に入る、その中に自分と同じ誕生日の人間がいる可能性は50%です。

体感的にどうしてもなっとくできませんが、どうやらそれは間違いないのです。

 

 

「運が存在しないのなら、我々ができることは限られています」

統計学の教授は言います。

「それは母数を増やすことです」

つまり運を気にするよりもチャレンジの数を増やすことを考えたほうが建設的なのです。

 

 

仕事で選ばれるにはもちろん運だけではありません。経験や技術が大切です。でもきっと「ご縁」と呼ばれる運も多少は必要だと思います。

運は自分で何とかすることができないものです。運に対してできることは、チャレンジの数を増やすだけ。より沢山サイコロを振ることです。

運に対して人間ができることはありません。それよりも芸を覚えたり、技術を磨いたりすることのほうがなんとかできます。出来ることをやりましょう。できないことはできないのです。

 

一見奇跡のような確立に思えても、それは統計学的に見たら起こりうるものだったりするのです。365日ある誕生日がかぶる確率がそんなに高いなんてだれも思いません。だから、とにかくチャレンジをし続けることが大切だと思いました。

ひょっとしたら奇跡的に仕事がぽっかり空いている所に営業できるかもしれません。たまたまほしい人材が、私のような人間であることも起こりえます。運や確率は常識とはかけ離れたところにあります。

自分で限界を決めないことにしましょう。運のいい人ってきっと活動的で楽観主義者だと思います。

 

今週のお題「ゲン担ぎ」

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