汚いもの、醜いもの、つまり見たくないものは見えない。でも見なくてはいけないものがある。
「きょうも傍聴席にいます。」を読んだ。
朝日新聞デジタルで連載されているコラムです。
それの書籍化、母さんごめんもう無理だ・・・というのはこの本の中の一つの裁判からです。
それが壮絶でした。
73歳の子供と90歳のかあさん
介護疲れからの殺人事件でした。かあさんごめんと誤っているのは73歳の男性。痴呆の母を長年介護して、自分の体に限界が来たのを悟り殺人に踏み切ります。
「介護のプロに依頼することはできなかったのですか?」という質問に「いろんなところに相談に行ったのですが・・・」とどうしても折り合いがつかなかったようです。
家を退去しなくてはいけない日に母親を殺害。その2日後に心配した市の職員が様子を見に来ます。「あと2日待つことができれば・・・」と被告はうなだれます。
5年の実刑判決。殺人のなかでもっとも軽くなったとはいえ、人生の最後を刑務所で過ごさないといけません。
これは現実なのだ
高齢化社会、老々介護といろいろ言われていますがリアルに感じることができるのでしょうか。なかなかできないと思います。介護職でなければ、そのような介護を必要としている老人を待ちで見かけることができないからです。
本当に深刻な事態は家の中で誰にも見つからず起こっているのです。その数は間違いなく増加していて、この事件のような出来事がひっそりと行われているのでしょう。
殺人とまでいかなくても、旭川地裁で万引きを傍聴したことがあります。60歳の被告の職業は無職で
「親の介護をしています」
ということでした。
問題は徐々に膨らんでいてそれは他人事ではない
高齢化社会の問題を手っ取り早く実感するためには裁判傍聴が最適だとおもいます。リアルに実感できるでしょう。ひょっとしたら10年以上の介護をする必要が我々の人生の中で起こるかもしれない。それは事実であり、目をそらすことはできません。
その問題をクリアする方法はたった一つ「自分に合った職を見つける」ことのみと思われます。一人でどうにもならない問題は、社会に解決してもらうしかありません。社会の力を借りるには社会人として貢献する必要があります。
社会の力とはなにか?お金や信頼です。それらは自分だけでなく周りを幸せにするには絶対に必要なものなのです。
だからしっかりと生きなくてはいけません。社会的使命をきっちりこなし、自分にぴったりの仕事を見つけるのです。問題は今は見えなくても、壁の向こう側でゆっくり大きくなっています。
裁判傍聴はそのことを知るのに最適なものです。それを広めるのが私の使命だと思いました。
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