モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

裁判傍聴記 : 何が「リアル」なんだろうか

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

今日はライダー4人を引き連れて裁判傍聴に行ってきました。

裁判を見ることは社会的に意味のあることです。

われわれの社会は「正義」をベースに作られていて、それを明記したのが「法律」になります。

その「正義」が正しく執行されているのか?なにをやったら「法律」に罰せられるのか?それは具体的にどのような手続きにより行われるのか?

そのことを知ることは彼らにとって有意義だったと思います。

午後の裁判を傍聴した後、みよしのでぎょうざとカレーを食べながら感想をぶつけ合ったのですが

「とても勉強になった」と言ってました。

実際に犯罪を犯した人間を目の前で見て、その人間を正しい手続きで罰するという社会のリアル。 何かを踏み外せば、自分もあそこに立たされるという現実。 それが伝わったというだけでもいい傍聴でしたが、今回のケースはいつもと変わったものでした。

 

※※※

 

坊主頭で肥満体系の男が被告でした。

顔は幼く、メガネのフレームと一体化する細目。

「窃盗」とありましたが、今回は「追起訴」でした。

つまり何件もやらかしているということです、その内容は卑劣そのもので

「病院に忍び込んで、患者のバッグから財布を盗む」

というものでした。

弱者の金を奪いまくって、クレジットカードをATMで引き出し(暗証番号は免許の生年月日などから推察)30万以上盗んだとのことです。

これを聞いて私は

「頭のいいやつなんだ、あと暗証番号をわかりにくくするのは大事」と思いました。

盗んだ金で「靴、服、パチンコ、髪を切る、ホテル代、Googleplay5万円分などを購入」したらしいです。

さらに弁償をまだしていないということでした。私は「なんて酷い奴だ」と思いましたが、それから流れが変わったのです。

被告は障がい者でした 

流れが変わったのは、弁護士が提出した資料を裁判長が読みふけったあたりからです。

5分ほど数ページにわたる資料を裁判長が読むだけの時間が流れました。

その資料は「障碍者施設において被告がどのような存在なのか?」というものです。

裁判長が資料を読み終えて、弁護士が証人を請求しました。

 証人の女性は涙を流して「素直ないい子です」といった

40台くらいのがっしりとした体型の女性でした。

体を使う仕事をしていることが分かります。

証人は名前を名乗った後「障碍者施設で働いています」といいました。

被告との関係は「施設で働く私と、入所者です」とのことです。

ということはつまり、被告は障害を持っている?

「後天性発達障害です」

つまり人間関係をうまく作ることができないようです。

ただ、一度関係ができてしまえば普通に接することができるので、障害といっても重いものではないようです。

被告は日常生活を施設で送り、重い障害をもった人の手助けを行っていました。

そして入所者同士で仲のいいグループを作ることができて、SNSなどで盛んにコミュニケーションをとっていたらしいです。

それがふとしたことで壊れてしまい(シモネタが原因)

「相手も障碍者なので」

その関係はなかなか修復されることはありませんでした。

そのことに深く傷ついた被告は施設を飛び出し、今回の事件を起こしてしまったのです。

そのことに証人は「同じ過ちを犯させてしまった」と悔いていました。

「人の役に立ちたい」という被告の力になるべく尽力し、「失明の子からは被告のことばかり聞かれます」と施設での存在の大きさについて語ります。

そして証人は涙を流し「被告の壮絶な生い立ち(これについては語られませんでした)を思うと「大人を信じられるようになるだけでも大変」とのことです。

「素直で人思い」な彼にこんな犯罪を犯させてしまった責任が自分にもあるかのような語り口でした。

ただ「ギャンブル依存症であること」がここで語られ、「3月に散財をしてしまい、それから入所費を引いたお小遣いせいをとっている」ことが分かりました。

検事からもギャンブル依存症について質問があり、証人は下がりました。

それから被告の質問が始まりました。

 弁護士のプランが分かる

どうやら弁護士のプランは「自分の欠点を認め、何とか公正しようとしている可愛そうな障害者」というストーリーのようです。

心にダメージを負うと人のことが考えられなくなり、我慢ができなくなる。

だからパチンコで散財したり、盗めそうなときは盗んでしまう。

これから介護の手伝いや仕事をはじめて、証人のような存在になりたい。

そのようなものでした。

 再犯宣言

私はこのとき「ん~病気なんだからしょうがないんじゃないの?」と結構被告よりな考えでした。

おそらく被告はやさしく、いい人だと思います。 ただ、一部が壊れているのです、それもどうしようもなく。

検事の「入院患者から奪うことに後ろめたさは?」という質問に「ない」という答えでした。 スイッチが入っちゃったら理性的な我慢ができなくなるのです。

「もう同じ犯罪を繰り返さないとは言い切れない」といいました。

結構驚きました、普通なら「もう二度とやりません!」と宣言するところだからです。

このことからも、被告は基本的にウソがつけないのでしょう。

介護施設では必要とされている存在のようですから、刑は軽くなるんじゃないか?という私の甘い考えがぶっ壊してくれたのは裁判長でした。

 裁判長がすべてぶっ壊す

「アナタね、成人してから裁判になったのは4回目だよね?」

と裁判長は言います。

「4回目!?」

驚きました、被告はまだ20台前半です。

今回の事件も出所してから半年のことでした。

それにしても多すぎます。

私はこれまでの弁護士のプランにやられていたのに

「もう、この人が社会でやってくの無理じゃね?」と思いました。

手のひら返しかもしれませんが、短い期間でバンバン犯罪を繰り返す人を野放しにしては裁判所の存在意義にかかわるでしょう。 裁判長のラッシュが止まりません。

「生い立ちが壮絶なのは分かる、でも進歩がないんじゃないの?」

「やっちゃってからの言い訳は、世間は聞いてくれないよ」

「介護の人の気持ちを裏切っていることが分かる?」

という厳しい裁判長の言葉が被告に刺さります。「でも・・・」と答えようとする被告をさえぎって

「やったことの責任は自分が取らなくてはいけない」

 そして〆の言葉がよかったんです

「もう・そうゆう・年齢です」

 

みよしのにて、餃子とカレーと裁判傍聴

裁判が終わった後、被告に近い年齢の彼らと感想を言い合いました。

まつくん「くそやろう」

ひらがさん「またやるとおもう」

ゆかちゃん「あれは病気、刑務所で生きて生きたいのかな」

庭師「ああはなりたくない」

彼らは当然自分のやらかしたことを、自分で責任を取らなくてはいけない年齢です。

そしてそれが分かっている人たちでしょう。だから立派な社会人であるといえます。

そんな彼らが被告に嫌悪感を抱くのは当然のことと思います。

彼らと被告が決定的に違うのは、現実をちゃんと捉えていることじゃないかな?と思います。

「やれると思ったらやっちゃう、人の気持ちを考える余裕がない」と被告はいいました。

それって彼にとってこの現実がいまだフィクションであることを言ってるのではないでしょうか。

壮絶な生い立ちが関係しているのか分かりませんが、被告にとってこのつまらない「リアル」はとても遠く現実味のないものなんだろうと。

だからリアルに他人のことが認識できないし、コミュニケーションがとれないのかもしれません、私は裁判を聞いていてそう思いました。

最後の裁判長の言葉を使うのなら、私はもう40前。 自分のしたことに責任をもち、なおかつ社会に役に立たなくてはいけない年齢です。 

社会に対して「なにができているのかな?」とたまに思うのですが、今日は若者を裁判傍聴に連れて行けて満足してます。

ゆかちゃんが「面白いけど、見ていいのかな?っておもう」といいました。

もちろん、見ていいんです。

目を背けてはいけません。

それがリアルだからです。

 

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カブ110のリアショックをYSS(東京堂)に換えてみた

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

6年乗っているカブ110(JA07)のリアショック(リアサス)を交換しました。

そのインプレッションです。

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※※※

 

8月中旬にふらのカブ主総会にドローンパイロットとして参加させていただきました。

その時のご縁でライダーハウスにカブ主の方が来ていただきました。

その一人天沼さんは同じカラーのJA07に乗っていらっしゃって、少しだけ天沼さんのカブに乗らせていただきました。

 

すると「!!」おなじバイクでもずいぶん乗り心地が違います。

「リアサスは換えたほうがいいですよ」と天沼さん。

東京堂(YSS)のリアショックを入れているようです。

私は6年間ノーマルで走り続け「衝撃は膝で吸収するのだ!」とがんばってきましたが、そろそろ交換するべきときがきたのかもしれません。

ぽちっと購入。

 と思ったらアマゾンには白しかありません。

楽天にメッキがあったので、楽天で買いました。


 

 

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交換はメガネレンチがあれば簡単にできます。

さて、フィーリングですが

「劇的に変わった!」

というほどではありません。

ですが

「良くなった!」

とはっきりいえます。

突き上げやバウンドなどはかなり改善されました。

そして数日乗るとさらに良さがわかってきました。

 

※※※

 

体が新しいサスに順応したのでしょうか、それともほかの理由があるかもしれません。

「お尻で舵を取る」感覚が出てきました。

タイヤの丸みもダイレクトに感じるので「どれくらいまで倒せるか」がしっかり伝わってきます。

これにはさすがに驚きました。

タイヤがまるで体の一部のように感じるのです。

そこで私は「ああ、こうゆうことだったのか」と理解しました。

天沼さんが「カブのリアサスは換えたほうがいい」と言っていたことは、こんな感覚を体験したからなのでしょう。

もし「純正でも十分走るし!」とカブのリアサスを交換しないでいるのなら、私はこう思います。

「なんてもったいない」

カブはこんなに走るバイクだったんだなって考えが変わりますよ、だからカブのリアショックは交換したほうがいいです。

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カブのリアサスで椅子を作る

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

先日カブ110のリアサス(リアショック)を交換しました。

そこで純正のリアサスを使って椅子を作ってみました。

シンプルこの上ない椅子ですがなかなか座り心地が良く、お金もかからず、良いものができたと思ってます。

 

※※※

 

「走りが変わるよ」

と同じカブ乗りにオススメされて、リアサスを交換することにしました。

その際に純正のリアサスを取り外したのですが

「この弾力を何かに生かせないか?」と思いました。

すぐに椅子に応用するプランが浮かびます、ライダーハウスにあるガーデンチェアーを参考にすることにしました。

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6年使ったリアサス

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木は垂木を使いました。1本100円くらい。

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適当な長さで組んでみます。

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で、この第一弾は失敗でした。

角度がなくて布にかかる重量が重すぎたのです。おしりを落とすと「びりり!」と破けて地面に座ることになりました。

「角度をつけて、布よりも丈夫な生地にしないといけないね」

と言うことで別の日。

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ホームセンターで「きゅうりの栽培などに最適!」というネットを見つけたので装着。

棒にぐるぐる巻きつけて、荷重を全体的に散らします。

そして角度もより椅子っぽい角度にして、長さも短くしました。

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あとは布を張り付けるだけ。

今度はちゃんと座れます。 ですがリアサスの効果はあまり感じません。

荷重がそれだけ分散したということでしょう。

リアサスの剛性は椅子には強すぎるという結論です。

ですが純正のリアサスを捨てずに済んだので満足してます。

 

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【絶対に負けられない戦いはあるのか?】読書感想文:「宮本から君へ」を読んだ

ライダーハウス蜂の宿管理人のノザワです

新井英樹の名作マンガ「宮本から君へ」(太田出版)を読みました。

この作品の中で「絶対に負けられない戦い」があるのですが、実際にそんなものってあるのでしょうか?

「きっとあるよなあ」と思います。

自分の命よりも大事なものを守る戦いってあると思うのです。

 

※※※

 

 Amazonのリンクを張っておいてなんですが、誰にでもお勧めできる作品ではないかもしれません。

なぜなら主人公宮本が体験する苦しみがリアルに描かれていて、読んでいて胸が苦しくなってしまうからです。 

その苦しみの中でもとくに「絶対に負けられない戦い」に挑む時の宮本は壮絶です。 99%負けるかもしれないけど、やらなくてはいけない戦い。 それでいて負けは許されない戦いってあるのでしょうか?

 

 

例えば「ここで負けたら死ぬ」って戦いはあまり無いと思うのです。 戦国時代や戦時中ならあったかもしれませんが、現代社会で普通に生活しているならまずないでしょう。 たとえヤクザになって「明日死んで来い」って言われても逃げればいいだけですしね。 たいていの苦しみからは逃げるが勝ちか、それが過ぎ去るのをじっと待てばいいんです。

 

でも「戦わなくてはいけない」ってシチュエーションはあると思うのです。 私の体験でいえば仕事を辞めた時や、ヤクザが店にやってきた時だと思います。 郵便局の保険屋が務まらなくなった時も、ヘラヘラしていれば給料はもらえました。 土下座して配達に戻してもらうことも出来ましたし、やめたのはただの私のわがままといえるでしょう。

 

それでも辞めたのは「外の世界ってどうなってるんだろう?」という好奇心があったからだと思います。 この気持ちを腐らせるぐらいなら死んだほうがマシで、郵便局員であることとそれを投げ出す葛藤は自分の中では「戦い」という気持ちでした。 実際に外の社会に出てみると「命がけ」ってほどのことはありませんでしたけどね。 

 

次に「負けられない戦い」がやってきたのは、ライダーハウスにきたメーワクモノを排除するときです。 「チャカで敵のチンピラを撃ち殺して10年入った」というヤクザが店にやってきたときも、心の中で「絶対に引かない」と決めて挑みました。

 別にヘラヘラしてじっとしていれば明日にはいなくなる人です。 それでもそうはしたくありませんでした。 くだらないプライドかもしれませんが、メーワクモノに屈するぐらいなら潰れたほうがマシです。

 

で、やっぱり「負けられない戦い」って「自分との戦い」であることのほうが多いと思うんです。 特に男は命よりも大事な矜持があって、それを守るためならどんな不利な戦いでも挑んでしまうシステムが入ってるのではないでしょうか。

 例えば大学4年なのに北海道に来ている「もじゃ」(あだ名)も

「大手の内定を蹴って、未経験のITに行きます」

ということをやらかしてます。

どう考えても不利な戦いですが「内定先の人の顔が死んでいた」という理由と直感、そして下調べからの未来予想図に耐えられないと判断したようです。

「自分を鍛えられる仕事がしたい」という理由で、ブラック上等、IT戦士になることを決意したようです。

 

あるよなあ、そんなこと。 絶対に負けられない戦いってあるんですよ。 そんなことを気づかさせてくれた「宮本から君へ」はやっぱり名著だとおもうのです。

 

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