モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

若くて純粋なのは結構たいへん

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今日はライティングの日でした。

情報をインプットしてアウトプットする作業です、なかなか疲れました。

実話ナックルズよりちょっとだけ上品なものを6000字書く予定でしたが、半分もかけませんでした。

原因は私の意志の弱さ、時間管理のてきとうさにあります。

今日もプールで泳ぎたかったので、近くのプールに初めていってみたのですが、子供用でした。 ヒザくらいまでしか水深がありません。 「しつれいしましたー」とすぐに受付のおじさんに頭を下げて撤退です。

「美瑛小学校なら本格的なのがあるよ」とアドバイスをいただきましたが、そこは16時からなので時間的に不可能です。

まあ、しょうがない。 ドローンを適当に飛ばして、あとは働きましょう。

でも頭がさび付いていて、今日は駄目ダメでした。

歳ですね、きちんと睡眠と休養を意識しないと、集中力は発揮できないようです。

ライダーハウスに戻りました、今日のご新規さま一人だけ、お客さん少ないです。

なのでマージャンを打ってました、マージャンは癒されます。

そして実に適当なことに、19時過ぎから営業開始です。 

ライダーにご飯を作ったら終了です、19歳の青年がおじさんにからまれてました。

話題は世界の女とセックスについてのようです。 どの国の女がいやらしくて、ヤレるか?というおじさんの話を「へえ~」とインプットする19歳。 純粋ゆえに、世の中のどーでもいい話をシャットアウトする術を持っていないようです。

私はそんな話に加わることなく、動画を編集してました。 

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今もどこかで誰かが働いている

ねぶたが近づいてくるこの時期は、結構ライダーハウスに余裕があります。

今日もあまりやるべきことはありませんでした、ライティングは検査に入っているしドローンも良いアイディアが浮かびません。

なのでトレーニングをしたいのですが「どっか山に行こうかなあ・・」と頭の中で手ごろな山を検索すると、先日の出来事がフラッシュバックしました。

 

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 ブルッっときて「山は無い」と思いました。 体を鍛える目的と涼しさを兼ねたものは・・・・プールか!

 

10年ほど前は水泳がマイブームで、しょっちゅうプールに行ってました。 そのときの水着を引っ張りだそうとしたのですが、見当たりません。

「・・・買うかぁ」

年に数回泳ぐくらいでしょうから、やっすいヤツを買いましょう。

でもホームセンターには水着が無かったので、イオンに入っているスポーツショップで買うことにしました。 「高っけ!」とまあ、当たり前ですが5000円くらいします。 帽子とゴーグルも買わなくてはいけないので、合計9000円ほどします。

「うーん、やめようかな?」

いくらなんでも、思いつきで9000円は使いすぎです。でも、なぜか先日事故って、バイクの外装ががっつり傷ついた熊次郎のことが浮かびました。

「・・・あいつに比べたらマシか」となぜか彼に背中を押してもらって購入。

常盤公園という旭川市内の素敵な公園内にあるプールに行きます。 利用料は150円と安く、シャワーは40円です。 1時間ほど泳いでいましたが、お客さんは私を入れて3人だけ。 水温は素敵に温く、気持ちの良い運動でした。 9000円の出費はすぐに「買ってよかった」と思えるようになりました。 水着は抵抗無くフィットしますし、ゴーグルは完璧かつやさしく水の浸入を防いでます。 サイズ大き目の水泳帽も私のデカ頭をやわらかく包んでくれて、とてもよい買い物でした。

その後、消費したカロリー分ラーメンを食べようと思ったらマズイ!うぇええええ失敗しました。 激しく後悔して美瑛に帰ります。

丘陵地帯に入ると車が並んでいて「?」と見て見るとでっかいコンバインで麦を収穫してました。 ドローンで上空から撮って満足します。

 これらの収穫された麦は、ライスセンターという施設にもっていかれます。

そこで5名のライダーが働いているはずなので、様子を見に行くと

戦場

って感じだったのでやめました。働いている人の邪魔をしてはいけません。

その後ビエールで「童貞について」妄想作文をかいて小銭を稼いで帰ります。

素敵な一日でした、熊次郎がいたので「なんかありがとう」と前にもらった蜂の宿Tシャツをあげました。

さて、私も働きましょう。

といっても今日は少なめ、連泊ライダーの食事を作ったらすぐに終了です。

女性バイク整備士に話を聞きながら居酒屋を閉めます。 明日からまたライティングが始まりますが、時間があればプールによってからにします。 登山ほど疲労しないので、居酒屋に影響すること無くトレーニングが出来るのです。 それに暑いし。

23時前にすべて終了したところで気がついたのですが

「あれ?あと二人は?」と聞くと

「今日は1時には終わるって言ってました」ということです。

今もどこかで誰かが働いているのです。 そのことにじんわりときました。

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郵便局を辞めたくなったとき、または辞めたきっかけ

 私は5年ほど郵便局で働かせていただきました。 職員でなくなっても期間契約として5年ほど冬の間お世話になったので、かなり人生のウェイトを郵便局が占めているといえます。

 私が郵便局を辞めたのは「保険が売れなかった」からですが、その決心をするまでにいろいろありました。 話すと長くなりますが、話さなければ忘れてしまいそうになるので書いておきたいと思います。

 

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 「営業ができなければ、郵便局で生き残れない!」と言われ続け、私は貯金保険課に行くことを希望しました。 配達をして2年が過ぎたころです。

 通常、そんなにとっとと新入社員が移動することはないのですが、わざわざ地獄にいく好き者がそんなにいるはずもなく、私の希望はあっさり通りました。

 営業をして3年目に「あ、無理だ」と気づいて辞めることにしました。 私の先が見えたのです。

 どうやら私の将来は、みんなから賞賛を受けるようなスーパーセールスマンではなく。 毎日課長から怒られているあの人やあの人のようになりそうです。 

 それは直観というか肌で感じる未来予想図です。 だって人間性とか力量とか「どっちに近い?」って聞かれたら、もちろんできないほうの先パイに似てるんですもの。

 それでも安定はしているかもしれません、なんてったって正社員ですから。 でもまったく女性にモテなかったので、安定的である必要もなかったのです。 

 保険という商品が嫌いということも大きかったです。 それを気に入ってくれた人に売ることが死ぬほど嫌でした。 そんな時に「金と銀」の誠京麻雀編を読んで「死ぬほど嫌いって、本当か?」と自問自答してました。

 その結論はイエスとしか出ません、保険を売らないでいいんだったら別に死んでもいいんです。 世の中にはどんな仕事がどれくらいあるのか分かりませんが、命と引き換えにするようなキツイ仕事はそんなにないでしょう。 冷たいナイフを逆手に持ち、アバラあたらないように横に構えて心臓に突き立てる気持ちなら、できることはいっぱいあるはずです。

 

※※※

 

 ここ最近「元郵便局員です」とか「もう郵便局辞めたいです」という人とよくお話しします。 なので私の経験をお話しさせていただきました。

 それを踏まえて「郵便局やめたくなったときあるある」をやりたいと思います。

 

残業が350時間を超えた

 正確には超過勤務ですが、年間で350時間を超えるハードな局があるんです。 毎日2~3時間は残業しているのでしょう。 それも配達中にサボっているわけではありません。 自分の体力と道路交通法のぎりぎりのラインを全力疾走してその時間です。その原因は

「部長が計配をやめちゃったんです」

ということでした。 通常大口の郵便をお客様から受け取るときは「この日までに全部配ります」という計画とともに受け取ります。 それをやめて「がんばろうよ!」と部長からの熱いメッセージ。 さらには「こうしたほうが早いんじゃない?」と未経験者の部長が口を出してくるらしく「じゃあ!そうしてやろうじゃないの!」とやった結果泥のような残業地獄になったらしいです。

 夜になれば視界は悪くなりますし、事故の確率は跳ね上がります。 その事故の責任はほとんど配達員が被らなくてはいけないので「やめようかな?」と思うのは自然のことでしょう。

 

給料が13万円

 正社員でなくても時給が最高1200円まであがるので、そこそこ給料はいい郵便局。残業代もきっちりでるので上記のような局ならガッツリ稼げることもあります。

 ですが基本的には「総支給13万!」とか厳しい現実なのです。

私が期間雇用でお世話になっているときも、年を重ねるたびに給料が安くなっていきました。 

 それというのも現場のトップである部長が「人件費ノルマ」を持っているからです。 削れば削るほど評価されるシステムと言えるでしょう。

 

「じゃあノルマを倍で」

 その部長は数年ごとに入れ替わるのですが、やはり前任者よりも成績を上昇させなくてはいけないようです。 そこで新しい部長が「前年比からノルマを倍にします」とサラッと宣言。 もちろんサボって仕事をしているわけではありません。 頑張ってもやや届かないくらいが、郵便局の一般的なノルマでしょう。

 こんなことが起こるのも郵便局が超巨大なシステムだからといえます。

 一人一人の力量なんて構ってられないのです。 とりあえずプレッシャーをかけて、できるやつ、なんとかするやつ、できないやつ、どっかいくやつ。ぐらいに分けるんでしょう。 そうして管理することで、システマティックに人間を評価できます。

「この人はほめて伸ばそう」とか

「この人はそろそろ限界だから」とか

「この人は将来伸びそうだ」なんてことは現場でしか起こりません。

 

それでもいい仕事と言えます

 ここまで言っておいてアレですが「それでもいい仕事です」と言えます。

郵便屋さんは世界中にいて、そのイメージはやはりすごいものです。

安心、安定、やさしそう。

 健康的ですし、対人関係のストレスも少ないほうだといえます。

 

 もし私が郵便局に残っていたのなら、限界までサボっているとおもいます。

どうせシステマティックに管理されるのですから、できないことはできないとはっきり宣言してスマホでもいじっていればいいんです。

 下手に仕事を頑張ると、ノルマをどんどんかぶせてきますので、けっしてノルマを達成してはいけません。

 なんか言われたら目に涙を浮かべて仕事への情熱を語りましょう

「全力、全力で仕事に取り組んでいるんです!」といえば

「ああ、こいつはダメな奴だ」とかってにあきらめてくれるのです。

 

でも、やめたことを後悔してはいません。

あの日具現化したナイフは、いまだ胸の前にあるといえます。

それは「生きてる実感」を私にくれますし、これからも力になってくれるでしょう。

まあ、なんとかなりますって。

 

 

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いきなりゴール地点には飛べない

あまり忙しくなく、まったりとした夜だったのでライダーハウスの輪に加わってきました。

そこには

「消防士になりたいです」

という19歳の若者がいて

「無理だ、やめておけ」

というやや年上のライダーたち。

いろいろ聞いてみたのですが、確かに19歳の彼にとって「消防士になる」というのは大変な道のりかもしれません。

現実を把握してないし、見込みも甘いし、素質もないかもしれません。

でもまあ「そんなもんだよな」と思ったのです。

 

※※※

 

私は今39歳で、この文章をビ・エールという美瑛の素敵スポットで書いています。

今日も酷暑ですがテラス席は日陰になっていて、気持ちの良い風が流れるので最高の環境です。

先ほどフリーwi-fiをつかって、いつも仕事をいただいているクライアントさんに記事の納品をしました。

私にとって「文章を書いてお金をもらう」というのは、口に出すのも恐ろしいぐらいの遠い目標だったので、今この現実が夢のようです。

いろんな要因が絡まって、このようなことができるようになりました。

 

※※※

 

なんといってもライダーハウスがあるからこんなことができます。

8年間ライダーハウスで生活してきたことが、いまの自分の基礎になってます。

ライダーハウスで生計を立てるのは難しい」と言われてきましたが、確かにその通り。

でも「ライダーハウスを副業にしてなにかやる」というのは全然アリです。

ライダーハウスがあるから居酒屋ができますし、ライティングもできるんです。

 

※※※

 

ライダーハウスがある美瑛町はとても素敵な土地です。

今、私の目の前には美瑛駅前の通りが広がっていて、人と多国語でにぎわっています。

1万人そこそこの人口の町に観光客がいっぱい来るから、美瑛の町の雰囲気はちょっと独特です。

寂れているわけではないですが、年中賑わっているということでもありません。

そんな場所にドン!とできたビ・エールという建物、老朽化したデパートを改装したものですがいい環境です。

ライティングをするのにこれ以上の環境はないでしょう、とても気に入ってます。

 

※※※

 

私は幸せなことに、いままで興味のあったことはすべてやってきました。

大学生の時にスキューバダイビングをやって、郵便局の時にバイクにのって、それからパラグライダーをやりました。

カヤックも何度もやりましたし、DIYも人に引かれるぐらいやりました。

今やりたいことは文章を書いて、人に買ってもらうこととドローンです。

他に気になることはあまりありません、なのでやりたいことに注力することができます。

 

※※※

 

私には「人が怖い」という弱点がありました。

でもそれは郵便局の保険屋時代に強制的に克服できたと思います。

そして30過ぎて将棋を覚えることで、知覚範囲がグンと広がりました。

ビビリ症はほとんど消えたと思います。

つまり「未来」があまり怖くありません。

ひょっとして西成でホームレスをやってるかもしれませんが、それでもかまわないのです。

 

※※※

 

28歳の時「カヤックのガイドをやりたい」と思い立ちました。

それは数年後にかなうことになります。

そしていま「売文家になりたい」と思っています。

それも趣味ではなくある程度の収入を得るぐらいの。

19歳の消防士への夢を笑える立場ではないのです。

そんなのよりも、もっと訳が分からなくて難しくて遠い道のりでしょう。

でも、環境は明らかに良くなっています。

最初から目指したわけではないですが、気が付けば土台ができてました。

誰だっていきなりなりたいものになれるはずがありません。

一歩ずつ情報を集め、環境を整え、実力をつけるしかないのです。

ゴール地点なんてたまに見上げるくらいでいいのです、目線は常に一歩先ぐらい、そうでないとやってられません。