ライダーハウス蜂の宿

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ギラのイメージと言葉

ドラゴンクエストのギラって魔法があるじゃないですか、唱えるとスライムぐらいならやっつけられるやつです。 

あれのイメージってビリビリした電気がほとばしってるイメージだったんです、でもシリーズが進んで「ダイの大冒険」がはじまって、そのイメージが間違いだったことに気づいたんです。

ギラは炎でブワーっと焼き尽くす魔法だったんです、「え?」って思いました。 火はメラという魔法があるじゃないかと、そう思ったんですが、メラは火の玉、ギラは炎って分け方をしてたんですね。

そんなことを思い出したのは、文章力の本で「文章は読者の物である」(結城浩「数学文章作法」より)と知ったからです。 文章は読者のものなんですよ。

 

いま、私が頭で考えてタイピングしてる文章は、私の責任で私が作り出しているものですが、その本質ってなんでしょうか。

もちろん、文章の本質は意味を伝えることです。 そのために言葉をつなぎ文章を作るのです。

そこで大切なのが、相手も同じフォーマットを持っているということ。 日本語を知らないとこの文章が読めないように、フォーマットがおなじであるという前提が必要なんです。

でも、そこは言葉ですからゆらいでます。 たとえば北海道では「なげる」はゴミを捨てるという意味があります。 道民とゴミについて話すときは「なげる」という言語に若干の違和感を覚えるでしょう。

その違いをなくすことは出来ません。 言葉の定義をいちいちやってたら、文章は異常に長くなります。 だから、お互いが言葉を信頼し、言葉を使ってコミュニケーションを図るのです。 

ひょっとしたら文章の意味は間違って伝わっているかもしれません、でも文章は読者のものですからしょうがないんです。 発信者は言葉に意味を載せて送り出すだけ、解釈は読み手の自由です。 読まないのも自由です、タイトルだけで判断するのも自由、読み飛ばすのも自由です。

文章を書くのは、ただ伝わって欲しいから。 誰かと話すのも、伝わって欲しいなにかがあるからです。 発信者と受け手の間には言葉だけがあり、100%伝わっていることを確認することはできません。

誰かの心の中をのぞくことが出来ない以上、言葉は完全な道具ではないのです。

でも、言葉って偉大だなあって思うのです。 人間は言葉によって協力したり、恋愛したり、子供を育てたりしてるんです。

私のギラのイメージのように、万能ではないけれど、偉大なんです。 必ず伝わっているかわからないけど、伝えるには言葉しかないんです。 

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