モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

オードリー若林の社会人大学人見知り学部卒業見込みを読んだ

オードリー若林の本が面白いらしい。

ネットで新しい本を宣伝する記事があったので読んだ。

 

www.danro.bar

図書館で棚を眺めていたら「社会人大学人見知り学部卒業見込み」があった。時間があるので読んでみる、おもしろかった。

 自己内証で考えすぎ、中二病で天邪鬼、イタイ奴でネガティブ。

そんな言葉で自己分析していた。

ゆえに、面白い。

好きだったのは、他人との距離を測れないという所で

「会議では悪くないけど~じゃない?とぼかさないと、相手を傷つけてしまう」と気づいて、ものすごくぼかしたら「ディフェンスがトリッキー過ぎて逆に傷つけている」と言われたところ。

1人で悩みがちになる人は、それが原因で苦労しているんだなあと思いました。

 

でも、そんなひねくれた性格だから、創作するものは光っている。

 

日記

 

ライティングの仕事をガーッと終わらせた。がんばったというか、筋肉が付いた。文字が勝手に生まれていくので、それをタイピングすればいい。

それは創造しているのとはちょっと違う。若林の本にもあったけど、アイデアというのは記憶の組み合わせなのだ。やればやるだけ、組み合わせに使える記憶のブロックが増える。後は組み合わせるだけ。

その組み合わせにも脳のエネルギーを使う。それは筋肉に似ていて、やればやるほど強くなる。休むとすぐに無くなってしまう。だから、いま、仕事が終わってしまって焦っているのだ。脳の筋肉をしぼませてはならない。

時間があるのだから山にでも登りたいけど、あいにくしばらく天気が悪い。なので図書館で記憶のブロックを積みに来た。

これからの日本社会を生き抜くために捨てるべき言葉

曖昧な言葉で、責任を逃れてはいけない。

グレーではダメだ。白か黒かはっきり主張する。

間違ってもいいし、非難されてもいいし、敵を作ってもいい。

それよりも大切なのが、曖昧な言葉を使わないではっきりと主張する

ことだ。

 

 

ライターの仕事をやっていると、1文字いくらで取引される。そこで生まれるのが「曖昧さの回避」だ。例えばライターは文字数を稼ぐために「~だということが考えられます」と書く、だがそれは「~です」を引き延ばし、文章を無意味なゴミくずにするだけ。

 

日本語の特徴でもある。はっきりとした主張をする言葉よりも、曖昧にぼかす言葉が多い。それは、島国同一民族内で敵を作らないための自然な発展だった。

 

これからの社会ではそのようなスタンスは評価されない。嫌いな人には嫌いと言う。できないことはできないという。間違っていることには間違っているという。「間違っていると思います」ではダメだ。「それは間違っています」と言わなくてはいけない。

 

それらの主張は敵を作るし、責任を負うことになる。だが、いままでのぼんやりとした言葉よりも、はっきりと自分のスタンスや考えをアピールできるので、目立つ。

ネットで場所を超えて人間がつながる時代だ。存在を知ってもらうには、何かを主張しないといけない。「~だと思います」ではダメなのだ。「ああ、そうですか」で終了だ。「それは~です」とキッパリとする。豆腐を出刃包丁で切るぐらいきっぱりとだ。

敵を作れ、敵を作れない奴に味方は作れない。リアルに会う人だって、事前にSNSで主張をチェックできる時代だ。人に嫌われるのが怖い人は、やさしくぼんやりとした言葉を使う。だまされやすくて、洗脳されやすい。

SNSで日本語は大きく変化していく。まだ、ぼんやりしているのか。

 

ただひたすら、精進を重ねる道を

面白いことをやる時、元気になる。

元気は何をやるにせよ必要なガソリンだ。だから面白いことを、つねにやり続けなければいけない。理想はそれが収入になることだ。

現実、面白いことをやっても、それがお金になることは無い。だから、仕事をしながら面白いことをする。それが普通だ。

 

なんども読み返している「ハッピーエンドはほしくない」nさん著に、こんなセリフがある。

「自分は経験とか知識とか、自分の中に積み重なることしか興味が無いかもしれない」

ホームレスからプログラマーになったnさんらしい言葉だと思う。

 

プログラミングなどの仕事は無限に広く、でたらめに深い。それは、やり続ければ道になるだそう。プログラミング道。書道とか、華道、茶道など。ただひたすら、精進を重ねる道。文章道もそうだろう、ライダーハウス道というのもあるかもしれない。保険営業道も確かにあった。 

面白いことをやり続けるには、それが道であることが重要だ。仕事もできれば「道」であるほうがいい。世の中には割と簡単にマスターできる仕事があって、そうゆうところには、わけのわからない理由で偉そうにしているおじさんがいる。道を極めることができないから、ヒマなのだろう。

 

もし、金はいいけど、簡単に極めちゃえるような仕事なら、なるべく適当にやるほうが良い。もしくは、仕事中でも出来る「道」を持つ。でたらめに深く、無限に広大で、むちゃくちゃに面白い道を持て。

金にならなくてもいい。面白いことをやり続けて、やり過ぎればいい。無限に沸いてくるエネルギーを使え、道を進む人間だけが見える景色、感じる感覚がある。悪魔に魂を売り、世間から非難され、孤独を恐れずやりまくれ。きっと誰かが、そこにいるから。

怒りを込める

実家に戻り、書類と格闘する。

社会保険や、法務局や、年金保険課や、登記ネットや、電子マイナンバーカードや、御用達ICカードリーダー、車検証と納税通知書、自賠責と任意保険、なんとか協会加入脱退、通知書と支払い済み証と払い込み書。

「プロに任せれば安心!」とどこかのHPに書いてあった。「とても親切な社会保険労務士です」「お値段たったの99800円!」とある。この手の「やっぱりプロにおまかせ!」という言葉を信用しない。きっとバイク乗りだからだろう。プロでなければできないことを見極めたいのだ。

それに、システムを複雑化させることで成立する商売は嫌いだ。全てのものごとは、よりシンプルに、美しくあるべきだ。カオスのカタマリのようなライダーハウスをやっておいて、そんなことを思う。

複雑化し、不透明化し、誰も理解できないようにする。そこに甘い汁を求めてズルいやつがやってくる。余計な仕事を増やして、オート化に反対する。集団に紛れて、いじめや非難を得意とするヤツ。

 

郵便局の保険の営業がやってきた。かつての自分は、将来の安心とかゆう、全くわけのわからないものを売っていた。「そんなものは存在しないし、嘘っぱちだ」と思ってた。どんなにすばらしい保険だろうが、嫌いなものは嫌いだ。

阿佐田哲也麻雀放浪記 激闘編」を読む。時代とともにプロの雀士は少なくなり、博打ではなくゲームとなった。そんな世界で、博打打ちとして主人公が生きていくのだが「あれほどいた博打うちはどこへいったのだろう?戦後と言う時代に生まれ、消えていったのか」と言う。

年金事務所や、手作業で電卓を叩く保険課の職員、生命保険のセールスマン、書類代行、いったいどこから生まれ、どこへ消えていくのだろう。かつて証券取引所にいた、電話番と買い付け人のように。幻のように消えていくのではないだろうか。

 

そんなことを考えていてら、怒り、気持ちがささくれだった。書類の書き方の日本語が残念過ぎる。1から書き直せ!と言いたくなった。主張をしろ、ごまかすな。

そんな怒りを込めて文章を書く。これでダメなら仕方ないという熱量をかけた。ライターとして褒められたスタンスではない。自分もまた、消えていくのか。