秋葉原事件 加藤智大の軌跡を読んだ
自らを「ブサイク」と言い続け、秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、ダガーナイフで通行人を殺傷した事件のルポ。裁判記録のみならず、生い立ちから人との出会いまで、とても詳しく、まさに「軌跡」と言うべきもの。「読めば、きっとあなたも加藤と同じ部分があると思えるはず」と著者が言う。まさにあった。こんなイカれた野郎と、自分との共通点が見つかるなんて驚いた。渾身のルポタージュだと思う。
加藤の行動原理のなかにある「アピール」がまさにそれ。なにか言いたいことがあっても言わず、破滅的な行動をとることで相手にわからせようとするもの。とても幼稚だが、誰だってそれはある。どんなに成長した人格の中にも子供人格がある。大人はそれを見せることなく、上手に社会生活を送る。でも加藤はできなかった。幼稚なアピールを続けて、大切な人間関係を捨ててしまう。
その原因には母親の教育にある。子供のすべてを思い通りにしようとする母親の教育。否定、否定、否定。母親はのちに「私が悪かった」と加藤を受け入れるのだけれど、離婚により結局家庭は崩壊したまま。
意外だったのは、加藤はいい感じの人生を歩んでいるってことだ。中学生からの友人、たまり場、一瞬付き合った彼女、りっぱな大人との出会い、大切な趣味、ネットでの友人。
でも、アピールによってすべて捨ててしまう。抑えきれない感情で動いてしまう。心の支えは掲示板での自分。「替えの利かない仮想現実と交換可能な現実j」とあるように、ネットでのアイデンティティがなりすましによって崩れたことが、加藤が現実を捨てるきっかけとなった。
この交換不可能な仮想現実というのがゾワっつとした。そんなに重いのか。たかがハンドルネームやアカウントが。そんなにか。
俺は・・・・俺だ。交換不可能だ。
ネットなんかじゃなく、ここにいる。
でも、ここってなんだ?
地球ってなんだ?宇宙ってなんだ?
時間ってなんだ?なんでこんな世界があるんだ?
その興味が、俺を現実に立たせている。