コーチカーターを見た。卒業率が50%、卒業生が刑務所に入る確率が80%というやさぐれ高校のバスケ部コーチに赴任するサミュエルエルジャクソン。そんな環境から抜け出すには社会のルールを守って努力するしかないということを教えるのだが、その葛藤が熱かった。どうせそんなもんだと諦める大人たちに向かって一喝。私は私のすべてを使って、どんなことをしても彼らに希望を与えるぞ!と怒鳴る。
そんなものさとあきらめていることがある。その根拠はいったいなんなのだ?
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休日だったがもちろんやれることはない。コロナがおさまっていないからだ。
ブックオフで物理や数学の本とか買う。三角関数について再び勉強する。ワープする宇宙という有名な本があった、1800円と高かったが購入する。
途中コンビニによってピアノの楽譜を印刷する。アプリをインストールしなければいけなかったので、インスト―ル。その時、腹筋トレーニングアプリがおすすめにあったので、帰ってからインストールした。
腹筋アプリは面白かった。もっとも簡単なコースで始めたが、数日やっただけで腹に力が入るようになった。
仕事。特に変化なく続く毎日。誰かがよくわからないことでキレているのであやまる。それを見た人が大変だねという。そんなことはない、という。郵便局で保険を売ることの方が大変だからだ。いきなりやってきたお偉いさんに「よし、今日は挙績!」と言われ、市内をかけずりまわることの方が1000倍は大変だ。
小説は面白いものが書けなかった。キャラクターだと思う。例えば、ドキドキ文芸部というアレなゲームのキャラが突然狂いだしてよくわからないことを話し始めるのだけれども、そのモニカというキャラが魅力的でいつまでも記憶に残っている。話す内容に力を持たせるのは、誰が話しているのか?というものだ。
フラットランドという映画では2次元人が3次元にいき、2次元人に3次元のことを説明する
「北ではない、上なのだ」
なんて素敵なセリフ!