モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

水になれ

パルプンテ!をかけられた人の話を聞く。介護施設の日常だ。このパルプンテは治らない。説明をしても5秒で忘れてしまう。自然と、説明することを諦めた。

それではいかんと思うのだけれど、俺は医者じゃない。ただの生活のサポートをする介護職であり、排泄や食事や入浴の手伝いが主な仕事だ。

その3大介護は意外とロジカルにできていて、割とやりやすい。ウンチが出ないなら下剤を使う、食事が食べられないなら、食べられそうな形にする。お風呂に入りたくないなら、シャワーにする。

これらは言葉にできるが、パルプンテは言葉にできない。なんというか、自らの安心を得るために、周りにちょっかいをかけまくるというか・・・例えば「いく?」といきなり聞かれる。「どこに?」とか「なにしに?」と聞き返してはいけない。そんなことを聞いても「わかんない」と言われるだろう。「いくか!」が正しい。

1年以上、コロナで施設内に閉じ込められている人たちだ。外に出るのはどうしようもない理由、病院とかに通院する時ぐらい。そりゃストレスもたまるだろう。

気持ちはわかるのだけれど、どうしようもない。だから常にポジティブな答えをする。相手の気持ちを汲み、つねにあなたは正しいと言い続ける。

そうしてどこかに行く!のだけれど、10秒も歩くとなぜ歩いているのかを忘れてしまう。疲れて椅子に座り込む。そうしてストレスはたまり続けるのだ。

ストレスのはけ口になることもある。パルプンテ状態のまま怒られ続けるのは、本当にキツイ。頭がおかしくなりそうだ。何を怒っているのかわからない、右脳が言葉を放棄したがっている。相手の眼球を見つめるが、相手は濁った瞳でどこかを見つめている。

こんな時、水になれ、と思う。

水は自らの形を決めない。パルプンテパルプンテのまま受け入れる。

大切なのは時間だ。パルプンテに浸り続けると、こちらの時間間隔も失ってしまう。時計を見る。30分と時間を区切る。その安全弁が無ければ飛び込めないのがパルプンテの水だ。

30分が過ぎ、パルプンテ状態から脱出する。思考は黒く濁ったまま。ロジカルな世界が新鮮に映る。洗濯機、テレビ、ドア、電灯、すごい!命令を与えればその通りに動く物質。パルプンテじゃない人と話す。すごい!言葉が伝わる!

こうして人の形を取り戻していく。これは良い訓練なのだと最近思い始めた。水になれと願うが、水の形は様々だ。この前の忠別川のように、攻撃的な水もある。最近の雲のように、どこまでも広がっていく水もある。

だいたい人間の7割は水。水になれっていうか、もうすでに水なのだ。

誰にでも合わせられるし、どこまでも広がることが出来る。気に入らないことは流し消え去ることもできる。氷のように固まることもできれば、三日月湖のようにリラックスすることもできる。熱くも荒れれば冷たくもなれる。どんなものも受け入れる。どんな形にもなれる。どこにだって行けるし、どこにも行かなくても大丈夫だ。

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