夜勤だった。これでついに10回目。1回5000円の補助がでるから、5万円頂いたことになる。じつにありがたい。
最初は恐ろしく、苦しい仕事だった。たった1人で越える夜。体は睡魔との戦いでボロボロになる。何が起こるかわからずに、ひたすらもがいていた。今もあまり変わりないかもしれないが「まあ、何か起こってしまったらその時考えよう」とあきらめている。経験しなければわからないのならば、できることはあまりない。やることが無くなったら、スマートウオッチのタイマーを入れて仮眠をとる。キンドルで本を読む。静かだ。
「子供が入ってきて、どこかに消えてしまった」というお年寄りの相手をしたり、ただ、怒りを発散したい人の相手をしたり、おむつを換えたりしていたら東の空が茜色に染まった。西側の壁が朝日を浴びてオレンジ色に焼けている。生まれたての空はどこまでも青く高い。間接照明の電気を消して、花に水をやる。「おはよう」とつぶやいた。1人だ。
1人1人、朝のあいさつをして起こす。緩やかだった流れは突然激流になった。1人を起こせば、隣の1人が起き出してくる。こんなとき、人はどこか無線でつながっていると感じる。無意識の周波数。転倒するリスクを頭の中でランキングし、行動の優先順位を入れ替える。ナースコールはなりっぱなし。タンタタン、タタタンタン。
居酒屋をやっていたときの感覚がよみがえってきた。あの時、自分は厨房で踊っていた。料理がもっとも簡潔に完成する道を探すことが出来た。食材に火が通り、ベストのタイミングまでの時間を体感できた。それまでにやれる作業を電気的反射でイメージできた。お客さんの腹具合とテーブルの空気感も伝わってきた。それらが組み合わさった時、踊る、と表現したくなることがある。なぜできたのか、無意識の周波数とつながったとしか言えない。食材の焼ける臭いと音、調理台の上の視覚イメージ、言葉を交わしたときの印象、伝わってくる熱気、それらが無意識となりつながる。
職場に花を飾り続けている。花を見せると人は喜ぶ。つぼみを見ると期待する。花の弁が開くと希望を抱く。太陽を意識する。枯れるまでの時間も。それらすべてが儚いことを。花を通じて無意識の周波数で、つながるのだと思う。