今住んでいる家は8年ほど空き家だった。
その時、自分はまだ30代前半で、生きていくのに屋根と壁があれば十分。水と電気とガスとネットもあるなんて、なんてゼイタクなんでしょう!というプリッとした男の子。
住んでいたお婆さんが亡くなり、不動産屋によって買い手が探されたが、結局自分のものになった。8年間。それなりに購入希望者がやってきたようだけど、何といっても車を置く場所が無いのが理由だったと思う。
さらに、2Fの梁は腐っているし、ボイラーは使えなかった。水回りも確実にダメ―ジがある。そりゃ二の足を踏む。コロナで美瑛の不動産価格も下落したのではないだろうか。駅前のホテル建設予定地は未だに空き地だ。
そんな感じの家だった。冗談で内覧した自分の目にはどう映ったか。
「なんてゼイタクな家なんでしょう!」
水回りの補修。車を駐車する場所。ハイハイ、できますよ。
ボイラー、持ってる。
2Fの梁、これはちょっとわからんけど、べつにダメでもいいんじゃないか?何といっても△屋根で、ブロック構造。家本体のダメージは少ない。あと100年だって建っているだろう。
という訳で住み始めた。前に住んでいたお婆さんの痕跡はほとんどなく、業者によってクリーニングもしてくれた。畳をはがした時に古新聞がでてくるのが唯一の名残かもしれない。
ここで、死を迎えた人のことを思う。8年も前に。
そして今、死を迎えようとしている人のことを思う。思うだけでなく毎日付き添っている。
毎日9時間。ずっとハイテンションで仕事をしている。肉体的な疲労より、精神的な疲れの方が大きい。1人で10人の予測不能な人間を相手にする。見えない触手をのばし、見えない触手を探るのだ。
気持ちがシンクロしすぎて「ひきこまれる!」という感覚に襲われた。びっ、と触手をひっこめた。これは他人だからできること。こんな距離感で死を思う。
どんな死に方が理想?と聞かれたら「砂漠で前のめりに倒れたい」と答えてきた。お年寄りは多分そんな感じだろう。砂漠ではないが水分に飢えている。筋肉が少ないから保水できないのだ。
死を思う。死だけは手放してはいけない。
カメラの為にスマホを購入したい
今使っているスマホ「umidigiA5」はクソやすいが、性能十分。1年経ったけど、まだまだ使える。
でもカメラのピントが合わなくなってきた。これはストレス。スマホに大した機能を求めていないけど、やっぱり一番気軽に使えるカメラだしね。
xiaomiNote9S辺りがねらい目か。それとももちっと金をだして、グーグル様のスマホを買うべきか。そもそも、カメラだけの為にスマホを買うのか?迷っていたらこんなサイトを発見した。
写真をほんの少し上手く見せる50のテクニック - あたし、めりーさん。今、あなたが心の中にいるわ。 (hatenadiary.com)
うわあ、いいわあ。こんなポエムな写真を撮りたい。