今日も傍聴席に座る。裁判官が来る開廷10分前。ろくでもない存在として、そこにいる。
社会正義ではない。好奇心から始めた趣味だった。これを生かした仕事もしている。
ここが性に合っているんだ。なぜだかわからない。いつものノートを取り出して、頭が勝手に言葉を産み出す。まるであの時の雨のように。トタンの天井を激しいリズムで叩く。言葉が、言葉が、言葉が。無意味に生まれ、ランダムにつながり、やがて意味を持ち始める。
「社会は信用で出来ているように見えるが、実はまやかしだ」
「わかる、社会は個人の社会性の集合体だよね」
「そうそう、人は社会人と非社会人の2面生をもっているよね」
「心理学の子供と大人の会話ってやつだね。その結論が意識であると」
「つまり社会人とはつまさきまで洗脳され切った可哀想な人かもね」
「その代りお金をもらっているじゃないか」
「社会の役に立つ人への報酬ということ?」
「そう、だから社会を構成しない人を徹底的に差別して貧困に追い込む」
「まって、シングルマザーとかは?立派な社会人であり人口を産み出しているけど差別されているよ」
「彼女たちは可哀想だよ」
「男の愛が欠陥しているんだよ」
「うわぁ、フェミさんオツっす」
「しょーがーねーじゃん。う○のみやしおんのおっぱい見た後で生の女性見ちゃうとさ」
「うむ、つまりおっぱいは最高」
「最高!」
という会話が頭を叩いた。そのままノートに書く。残念ながらボールペンの出力が追いつかない。まあ、こうして後でタイピングするからいいのだが、きっかけ程度しか残せない紙とペン。もっといい方法が欲しいものだと思う。
裁判傍聴だって、なんとか紙とペンだけ許されている状況だ。電子デバイスは未だに持ち込めない。TVのカメラも入れない。まあ、仕方ないのかなと思う。
覚せい剤がどこから持ち込まれるのか?とか大麻はどこに行けば手に入るのか?とかを帰納法的に理解できてしまうからだ。子供の教育に悪い。
だからこそ、暇な一部の大人の趣味として成り立っている。静寂が集中を呼び、集中は脳を働かせる。実に気持ちがいい。
この世には無限に楽しいことがある。
すべて自由である。
やりたいことをやるべきである。
やりたいことを我慢し続けると心が死ぬ。
心が死ぬと生きる力を失う。
やりたいことをやらなければいけない。
傍聴前にメモした言葉。