モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

生きる目的はなにか?

ハッ!!(大胸筋をバンプアップしながら)こんにちは、みんな!プロテイン飲んでる?深夜のコブラマングース小林だよ。フッ!(ナイスカット!)じゃあ、僕の筋肉に挟まれて死にたい人おいで!頭がどんどん悪くなるお薬をだしてあげる!(ビューティフル大殿筋!)

 

毒虫と(毒虫と!)

毒キノコ(毒キノコ!)

義母のおせっかい!(今日はゆっくりしていってね・・)

ヤァ!ママ友の窃盗!(家に入れるな!)

旦那の浮気にドメスティックバイオレンス!(スマホをチェックしろ!)

なにこれ・・・セクシーすぎるんですけど!(キャー!)

 

みんなまとめてプロレスだー!

新日全日大日本

いろいろ団体あるけれど

大体みんなちょっと狂ってる

こけしをかわせ

プランチャをうけとめろ

男色ディーノの見せ場は入場

後楽園行ける人はちょっとうらやましいゾ!

 

日記

 

「生きる目的とは何か?」という問いから始まる研修を受けた。

「自分や他人の幸せの為に生きること」がそこでの答えだった。

それにちょっと違和感を感じながら、でも、講師の意図がこの先にあると感じて受け止めた。

が「ちょっと仕事に戻ってください」と離席を余儀なくされる。それはいいけど、先が超きになるんですけど・・・しかたない。戻る。頭の中に問いだけが残った。

「幸せになる」こと以上は存在しない?マジかよと思う。

生きる目的=幸せになる?

幸せって言葉に、そこまで信頼を寄せてしまうのか。ちょっと危険だと思うけど、なるほど便利である。

例えば、死ぬまで素数を数え続ける人がいる。その人にとって、数を数えるのは幸せだ。ブラックホールの謎を研究する人。望遠鏡をのぞき続ける人。自販機の写真を撮り続ける人、電車を愛し続ける人、痛みが大好きな人、貧困が好きな人、虐げられたい人、盗まれたい人、裏切られたい人、死にたい人、などなど。すべて幸せって言葉に入るのだ。

ただ、この違和感はきっと「幸せになる」って視点があまりに近視眼的だからだ。「または、他人の為に」という補足があるけど、それじゃあ足りない気がする。

生き物が生きるのは、次の世代に命をつなぐためだ。それは幸せのためだろうか?

植物が種を飛ばし、動物が食べたり食べられたりするのは、幸せの為ではない。

そのようにデザインされているからだと思う。

そう考える。だから人間が生きるのは、より知識を得ることだと信じている。知的生命体はそうデザインされている。知識を得て、それを残す。それが生きる目的だ。ああ、なんだかしっくりきた。それも幸せって言葉の中に入れられてしまうのかもしれないけど。