約20年前。ぷりっとしていた俺は郵便配達に情熱を注いでいて、その98%はから回っていた。ローギアで高速を走るかのように、まったく見ていられない若者だったと思う。そんな仕事のなかで、一番いやな季節が8月だった。バイクに乗れる仕事なのに、8月がイヤだったのは「北海道グルメ会」という商品を売らなければいけないのだ。目標と言う名のノルマが各自に負担される。毎日配達にてんやわんやしている郵政外務員が、月3000円の1年契約の商品を売ってこいと言われるのだ。多くの職員は自腹営業か、親族に売りつけていた。売れば売るほど配達の仕事が増え、親族から白い目で見られる。儲かるのは郵政天下り先の腐った会社だ。そんなイヤな商品だった。
それから20年ほどが経ち、おれは介護職として生活するようになった。介護の仕事のいい所は、北海道グルメ会のような商品を売らなくてもいいところである。40を超えたおっさんでも正社員にしてくれるところも良い。腐りきったよくわからない企業の利益の為に働かなくてもいいなんて最高だ。共済もある。そんな共済に月3000円ぐらい払っているけど何も問題はない。今日なんてよくわからないプレゼントがあった。それがカタログから好きなものを選べる方式のアレで、北海道のグルメが選べるのだった。
北海道グルメ会かよ・・・と20年ぶりに吐き気がした。俺の夏を黒くしたアレ。だいたい1品3000円ぐらいだろうか。贅沢な牡蠣とかウニとかが送られてくるらしい。一通り見て、古新聞に隠して捨てた。家に帰ると彼女Aが「共済からもらったよ」とそのカタログをもっていた。逃げられん、と思った。
仕事が終わりかけた21時ごろ。元気な利用者がこちらにやってきた。徘徊する人なのだ。あまりコミュニケーションはできない。だから強引に手を引っ張ろうとすると拒否される。じっと距離をはかり、他の利用者に迷惑をかけないように見張るしかなかった。
電気が落とされている食堂で、小さな蛍光灯だけがついていた。彼女は「くらい」と先に進もうとはしなかった。だが、手を取ろうとすると拒否される。仕方ないので、椅子に座ってじっと彼女をみていた。90歳ぐらいだったっけ。銀髪に小さな体。蛍光灯に照らされるしわの入った顔はとても美しい。フリーズする彼女をただ、眺めていた。美しい。ただ、そう思った。