モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

ステージに登る

高橋がなり元SOD社長のyoutubeチャンネルを見つけて、毎日聴いている。

https://www.youtube.com/channel/UCfHXFGSfNcicGJ46Jra3EPg/featured

マネーの虎でおなじみのがなり社長、その発言が厳しい言葉が欲しい私のような人間にビシッと響くのだ。本も何度も読み返している。

そんな人のチャンネルなので、登録して毎日聴いてしまうのだ。内容は人生相談で、私の様なキツイ言葉が欲しい人が同じような悩みを抱えてやってくる。

「人に厳しい態度を取れない」「目標を失ってモチベーションが湧かない」「裏切られて人間を信用できない」「人生にドキドキしない」

質問者は社長に「何言ってんだ!バカヤロウ!!」と言ってほしいのだ。構図はアントニオ猪木の闘魂注入と全く同じである。ぬるい自分に喝をいれてほしい。社会的に成功した人でも、そうでない人でも、同じ目的だ。

だが、怒鳴らないのだ。ほとんど怒鳴らない。1人だけ、くさった日陰のネズミのようなヤツがいたけど、彼に怒っただけ。あれは誰でも怒る。

その理由を「どうしても人に怒れない」というミステリーカフェを展開している社長に話していた。昔は怒鳴っていて、毎日のように従業員をクビにしていたけど、おれは元々君のように人づきあいが苦手で、怒るような人間ではないのだということだ。

だが、怒ることを求められるようになった社長。そりゃそうだと思う。怒るのは疲れる。できるなら、怒りたくないのが当然だろう。だから怒る仕事を人に押し付ける。その役を買って出たのだ。

「どうすれば怒れるんですか?」という質問に対して「別人格を作るしかない」と言っていた。別人格を作り、スイッチを入れる。そうすることで「がなり」になるという。そのスイッチは、たとえるならステージに登るような感覚で、聴衆がバーッと目の前にいてそこでなにかしなくちゃいけない、そんな感覚をスイッチにしているらしい。

つまり演じるのだ。我々がテレビで見ていたのは高橋がなりを演じていた人だったのだ。演じる。それはライターの仕事でもやることがある。

ライターと演技

ライターを初めてすぐのとき、すべての仕事を検索するが、書けそうになる案件は1つもなかった。そして、見つかるのは「誰でも書けます、初心者歓迎」と言う仕事。これはとてもキツイ。誰でも書けることを書くのだから、単価も安いし、フレームもがっちがちだから何を書けばわからなくなる。

そんな仕事になんども苦しめられてきて、それでも次の仕事を探す。単価が高くて、より高度な仕事。そこではクライアントは聴衆だ。「なにができますか?」と聞かれたら「なにもできないけど、がんばります」と答えた。もちろん落ちた。

文章の研究をしながら、自分が得意なジャンルの仕事を探した。バイク、ドローン、アウトドア、なんとか及第点をもらうようになり、検索上位を取れるようになる。

再びドアを叩く。「なにができますか?」と聞かれる。「こんなんできますよ」と過去の実績を送る。「じゃあ、やってみて」と初めてパスが来る。

絶対に失敗できないステージに上がる。目の前には顔の見えないお客様。素の自分を出す。そして失敗する。

とあるクライアントに「お客様の欲しいものを考えろ」と言われる。誰にでもわかりやすく、スッと頭に入る文章を、頭のいい読者が読んだらどう感じるか?それを考えてみろと。馬鹿にされていると感じるだろう。東大の講義で絵本を朗読するようなものだ。

ステージに立ち、そして演技する。それをリアルでもやらなければいけない。

先日、ライダーハウスの始め方について記事を書かせてもらった。やっているときは恥ずかしくて否定していた「北海道3大沈没ライダーハウスの1つ」と自分で名乗った。書いてある内容が、これでさらに説得力を増すからだ。

料理と演技

同じようなことが居酒屋でもあった。昼間、お客さんが来る。案内する。夕方にコックコートを着て開店する。「誰ですか?」と言われた。「あれ、オーナーは?」と。着ている服は重要だ。

ステージに登る人が、普段着ではいけない(普段着キャラを演じる場合を除く)ように、着ているものは重要だ。服ごときなんでもかまわないのだけれど、人を説得するにはそのような演出が必要不可欠なのだ。

コックコートを着て作る料理は、Tシャツで作る料理よりも確実に美味くなる。あと、まったく同じ料理でも500円と5000円では5000円の方が美味くなる。もちろん、料理はそんな演出だけでは作れないけど、演出の無い料理もダメなんだ。

本当の自分なんてステージに上がる勇気が無いだけ

俺は天才だ。レオナルドダヴィンチの生まれ変わりだ。俺の言葉、俺の創作物、俺の料理、俺のライダーハウスにはオリジナリティがあり価値がある。そう演じている。

本当の自分はステージに上がる勇気すらない、日陰のネズミなのだ。失敗しないように、安全な生き方を望んでいるネズミ。ステージに上がる人をうらやましそうに見ているだけの存在だ。

だけど今年はステージに上がる。全身の血が沸騰するような視線を浴びて見せる。演技だけは天才的にあるのだ。