モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

小説の練習:妻が拒否して単身赴任

父が私たちを捨てたのは、6年前。わたしが小学校に入る前でした。

転勤を命じられて、一生その田舎町に住まなければいけないってマジ?と母は怒って実家に戻り、それをきいたおじいちゃんが激怒して父の元になぐりこんだらしいです。わたしはその時寝ていたからわかりません。夜中に突然母が「おじいちゃんの家に行くよ」と起こされたのです。

私は凄く眠くて、どうして?明日の朝じゃダメ?と母に聞いたのですが、おじいちゃんお怒った顔が怖くてそれ以上は聞けませんでした。父の悲しそうな顔も覚えています。

その次の朝から母親の実家での暮らしが始まりました。大工というか建設業というか、とにかくおじいちゃんは社長と言われ、2人ぐらいの社員がいました。私は急に家族が増えて楽しくなっちゃって、わーいわーいとはしゃいでいたらお皿を割っちゃっておばあちゃんに怒られました。

母親は「おかあさんは仕事にいくから」と仕事を初めて、私は小学校にはいったばっかりで新しい世界がぐーん!と広がっていきました。おばあちゃんはおっかなかったけどご飯は美味しいし、部屋が広いから友達を連れてくることもできました。

おじいちゃんとお母さんは毎晩のように喧嘩をしていました。「仕事だからしかたないじゃない!」とお酒に酔ったお母さんに水を出して喧嘩を止めるのが私の仕事になりました。酒臭いおじいちゃんに「トマ子、こっちおいで」と呼ばれ、お酒臭いおじいちゃんに抱かれるのもいやでした。

おじいちゃんの家で3年が経って、おじさんがやってきました。おじさんの登場により、母は喧嘩することが少なくなりました。おじさんはダメな人だったのです。

証券会社を辞めたおじさんは父親の建設業を継ぐつもりだったようです。でも手先が不器用で失敗ばかりのおじさんはすぐに自分の部屋にひきこもってしまいました。私はおじさんの部屋の前まで行くのがとても怖くて、ご飯をもっていくのがとてもいやでした。

よっぱらったおじいちゃんが何かを思い立ったようにおじさんの部屋に行き、鍵を壊して大乱闘するのが月に1回はあったとおもいます。その時は家が壊れるんじゃないかな?とおっかなくて、おばあちゃんと抱き合ってました。お母さんは毎晩遅くまで「仕事」していました。

小学校高学年になった私は「ニート」という言葉を知り、自分の家のおじさんがそうなのだとわかりました。先生に「ウチにニートいるよ」と言うと、先生は家庭訪問をしてくれました。おばあちゃんがお茶をだしてなんとか丁重に帰ってもらい、それから鬼のような顔で私を見ました。「おじさんのことは誰にも言わないで!」と怒られました。

そこにおじさんが茶の間にやってきました。「どうしたの?」とおばあちゃんに聞くおじさん。「あんたのせいで!」とおじさんに起こるおばあちゃん。おじさんは悲しい顔をして「うん、わかった」とつぶやきます。

そして次の日、おじさんの部屋にご飯を持っていくと扉が開いてました。「トマ子ちゃん、ちょっとこっち来て」とおじさんが部屋の中から手招きします。とてもイヤな予感がしました。

おじさんの部屋はとても物がいっぱいあって、裸の女の子の人形とか、裸の女の子の布とか、絵とか、パソコンとか、それを納める棚とかで迷路のようでした。「ちょっとココすわって」とパソコンの前に座らされると、私が映ってました。

「ちょっと何かしゃべって」と言われたので「えっと・・カブラギ・トマコです」と言います。すると凄い早い挨拶が文字で返ってきました。「皆、トマコちゃんと話したいんだよ」というので、私は「こんにちは」というと、こんちには!かわいい!脱いで!という言葉が返ってきます。

「じゃ、ここからは有料チャンネルになりまーす。僕もいなくなりまーす」とおじさんはいい、本当に出て行ってしまいました。「30分したら戻るから、それまで話してて」と言われ、すごく早い文字と会話していました。ほとんど読めなかったけど、脱いで、おっぱい見せて、まず上着だけ脱ごうか?聞いてる?クソビッチの素質充分、女にしてやりたい、ま○こ見せて、バカヤメロ、通報しました、などなど何をすればいいのかわからないまますわってました。

おじさんが戻ってきて「じゃ、また明日ー」と言って操作をすると私が映っている映像が消えました。「また明日、よろしくね」とおじさんに頼まれて、とてもイヤな気分でした。

宿題があるからと断りましたが「おじさんがやってあげる」と断れませんでした。おじさんが私の宿題をする間に、私はパソコンの中の人とお話ししました。今日学校であったこと、友達の名前、好きな男の子はいるのか、股間がムズムズすることはない?おとうさんのチ○ポ見たことある?このトーク魚拓とったから、やっぱり良くわからない言葉が多かったです。

おじさんは私の宿題をやり終えて、それから勉強を教えてくれるようになりました。私は大嫌いな算数とか英語とか社会とか、つまり全部きらいだったのですが、おじさんはとてもわかりやすく教えてくれました。

1か月もすると、私はパソコンの前でおしゃべりすることができるようになり、勉強もますます楽しくなっていきました。おじさんは私の欲しいもの(プリキュアの変身グッズなど)何でも買ってくれます。おじさんはとてもいい人だとおもいました。そして、それを先生に話したら、また家庭訪問がありました。

顔が真っ赤になったおばあちゃんは電話でおじいちゃんを呼び出し、まっかになったおじいちゃんがやってきました。おじさんの部屋からは怪獣のような声が聞こえてきます。私はおばあちゃんと外にあんみつを食べに行きました。

家に帰ると血だらけのおじさんがいて「ごめんね」といって出て行きました。同じく血だらけのおじいちゃんが私を抱きしめて「ごめんな」とあやまりました。そうして、私は勉強にまた興味が持てなくなってしまいました。

つまらない学校の授業を聞いて、おじさんだったらもっと頭に直接かきこんでくれるような話し方をしてくれるのに・・と思いました。テストもやる気がなくなって、全部絵を買いてしまいました。

聖徳太子が正解の所に聖徳太子を、appleにはリンゴの絵を、6には6本の鉛筆をかきました。当然0点です。母が怒りました。

私を何度も平手打ちし「いたい!いたい!」といってもやめてくれません。そこにおばあちゃんが入ってきて「やめ!やめてー!」と叫びます。叫び声をきいたおじいちゃんもお風呂から飛び出してきて「何しとるかー!!!」と母を引き離しました。

「あんたなんかいらない!」と母が私に言った瞬間、母が横にふきとびました。おじいちゃんの張り手でした。柱に頭を打ちつけた母の頭から「ぴゅー」と血が吹き出ます。天上まで届きそうな血をみて「きゃあああああ!」とおばあちゃんが叫びました。おじいちゃんは興奮して仁王立ちです。私は「あ、救急車だね」となぜか冷静に救急車を呼びました。

それから母は帰ってきませんでした。頭のケガは大したことが無かったのですが、争いの絶えないおじいちゃんの家には帰りたくなかったみたいです。私の本には手紙がやってきました。

「トマ子へ

本当にごめんなさい。お母さんは酷いことを言ってしまいました。あなたにあやまりたいけど、その資格ないよね。お母さんは罰として、家を出ることにしました。後の事はおじいちゃんと、おばあちゃんに聞いてね。もし、困ったことがあったらここに行くといいよ。

バカなお母さんより」

福島県○○市●●町ファイモール西102号

高橋 豊

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この紙はおじいちゃんに見せないでね!」

差し出しは都内のあるマンションでした。おじいちゃんに封筒を見せるとまた赤くなって飛び出していきました。私はもう一枚の紙を大切に隠しました。血だらけになって帰ってきたおじいちゃんに「もう一枚紙あっただろ?」と聞かれましたが「知らない!」で通しました。何度も言ったらバチン!と平手打ちされました。

そのあとおじいちゃんに抱きしめられて「ごめんなあ、ごめんなあ」と謝られました。「おかあさんをゆるしてやってなあ、ちょっと男によわいんだよなあ・・・」「豊さんについていけば、こんなことには・・・・」「あいつのことは言うな!」「でも、今度は不倫でしょ」おじいちゃんとおばあちゃんのケンカが発生し、私は部屋に逃げ込みました。

「あの子が悪いんじゃない!!」

「あんな放射能だらけんところにトマ子連れてけるのか!」

放射能と不倫どっちがいいんですか!」

バチン!

部屋まで聞こえる喧嘩でした。私はこの家を出なければ死んでしまうと思いました。机の引き出しにしまってある住所にいつか行こうと思ってました。でも、どうやって?私はおじさんから貰ったケータイを取り出します。誰にも内緒にしていた、かわいいiphoneカカオトークでおじさんを呼び出します。

「トマちゃん?どうしたの?」

「また喧嘩してる」

「はぁ・・あいかわらずだね」

「おじさんは今どこ?」

「台場のマンションだよ」

「そこ行っていい?」

「それは、ちょっと問題になるからダメ」

「お母さんも出て行っちゃった・・・」

「え・・・ああ、そうなんだ」

「フリンって言ってる」

「そんな言葉もう知ってるの?」

「悪いことってだけ」

それから私は福島県の住所と名前のことを話しました。

「ああ、それは・・」とおじさんは少し考えた後「僕から聞いたって言わないでね」と言い「でも、遅いか、いずれは」と独り言。「お父さんでしょ」と私から言ってあげます。

「わかる?」

「わかるよ」

「そうだよ、キミのおとうさんの名前と住所だね」

「行っていいのかな?」

「良いと思うよ」

「でも、お父さんも悪いひとなんでしょ」

「誰から聞いたの?」

「お母さん、仕事ばっかりで私達のこと見捨てたって」

「それはどうかな?」

「どうゆうこと?」

「そんな人には見えなかった」

「よくわかんない」

「ねえ、トマちゃん。キミもそろそろ自分の頭で考える時が来たんだと思う。もちろん、それは同級生から見ても早すぎるし、タイミングも良くない。ねえ、今の学校好き?」

「好き」

「じゃあ、中学校に上がる前まで耐えられる?」

「おじさんはいてくれる?」

「ムリ、勘当されてる」

「こうしてお話しするのは?」

「大丈夫だけど、絶対ばれないようにね」

「そうする」

「そろそろケンカも落ち着くでしょ、じゃあねー」

トークを切ってしまったので、慌ててスマホを布団の下に隠した。と同時に部屋の扉ががらりと開いておばあちゃんが真っ赤な目で抱き着いてきた。「ごめんねー」と何度も謝っているのを聞いた。

それから2年間。おじいちゃんはますます仕事にのめり込んで、おばあちゃんは表面だけ笑顔に振る舞っていました。どちらもすごい怒っているのがわかります。

家の空気がつめたくて、どこか変なにおいがするようになりました。おばあちゃんが家事を放棄しはじめていたのです。私は絶対にばれないタイミングでおじさんと話します。アルバイトもやりました。もう、これがなんで、画面の先に誰がいるのか分かっていました。

「アルバイト代頂戴」とおじさんに言いました。おじさんは私名義の口座を作ってくれて、凄い金額を振り込んでくれました。使い方も教えてくれます。私はコンビニで買えないものはありませんでした。

同級生の男子が「100万円あったらどうするー?」と言ってふざけているのに対し「えー‼なんでも買えちゃうじゃーん!」とクネクネしているのを見て「アホだ」と思えるようになったのです。あと1か月で、その100万円に届きます。そんな時に、おじさんの連作先が消えました。代わりに「神奈川県警児童福祉課の前田さん」からスマホに連絡が入りました。

おじいちゃんは赤く怒り、そして紫色に悲しみました。私の事をゴミのような目で見ることになりました。「スマホをよこせ!」というので「やだ!」と逃げ出しました。

福島県への道を検索しました。駅員さんに聞いてやり方を教わります。私は背が高く、中学生ぐらいに見られるのです。「お金は?」と聞かれたので「これ使えます?」とスマホを見せます。不思議そうな顔をして、ATMから現金化させるやり方を教えてくれました。

もし、私の行動が1日遅かったら、この口座は凍結させられていたでしょう。おじさんのファインプレーだったのだと思います。福島県につく頃には夜になってて、スマホでは車で20分という場所にある場所に父の住所があります。タクシーに乗って運転手さんに相談したら「お金は?」というので「これで足りますか?」と1枚渡します。何も言わず、車は発進しました。

ファイモール西に到着したとき、やっと不安が私の追いついてきて、ここまできて、子の住所にいなかったらどうしよう?タクシーで駅に戻る?でもどこで寝るの?私はドキドキしながらインターホンを鳴らしました。「高橋」の名札があったので安心したけど、「どちらさま?」女の人の声だったのでドキドキしました。私は名前を名乗ります。

がちゃり、とドアが開いて女の人が出てきました。優しそうな人。目が大きくて美人。「え!トマ子ちゃん?入って」と中に入れてくれました。そこに父がいました。


娘が小学校にあがろうとする時期に、突然転勤が言い渡された。福島県にある工場勤務になるという。おそらくそこで私のキャリアは終わるはずだ。妻にそのことを伝えると「冗談じゃない!」と怒った。そんな場所ではトマ子の教育に響くというのだ。

何度も話し合いをしたが「単身赴任で良いでしょ!実家に帰るからお金も負担にならないし!」と妻の態度は変わらなかった。東京生まれの妻にとって、人口30万人都市というのは田舎に見えるらしい。

かわいい娘の成長を見届けられないのは、とても辛かった。だが、男として娘を育て上げることにやりがいを感じないわけではない。妻も実家で暮らすほうが生活しやすいと思った。単身赴任を選択した。給料は全て妻に任せることにした。

ひっこしや赴任先へのあいさつなどで1か月があっという間に過ぎ、やっと妻と子に会いに行くことが出来た。だが、会わせてもらえなかった。東京の妻の家に行くと、妻と子は外出中で御父さんと御母さんがいた。

そこで私はめちゃくちゃに怒られた。妻と子をほったらかして、遠くに行くとは何事か!よそで女を作っているんだろ!お前の様な薄情者にあわせるわけにはいかん!と離婚届を書かされた。養育費を突き10万送るように!と言われ弾き飛ばされる。なんども妻に連絡するが、着信拒否になっているようだった。

この時の判断は未だに後悔している。なにがなんでも離婚届にサインなんてするべきではなかった。そして私は仕事の亡者、金の亡者になった。

大切なものを失って、私は変わった。仕事はすべて合理化の為にあり、金にならない事業はバンバンカットしていった。リストラの候補を毎年3人はピックアップしていった。その中には、必ず自分の名前を入れていた。

仕事と同時に副業にも力を入れた。投資を勉強し、会社経営を学んだ。日経新聞会社四季報を読み、毎月ギリギリの生活をつづけた。給料はそのまますべて妻に渡してある。生活費はこれで稼がねばならなかった。

会社の総務に行って、振込口座を変えることも考えた。だが、娘の顔がよぎり、できなかった。

アジア通貨危機や、リーマンショックなどを奇跡的に回避できたのは運としか言いようがない。たまたま読んでいたws.Jurnalのサイトにウォーレン・バフェットのコラムがあり、そこに世界レベルの不況がやってくるぞと警告があったのをうのみにしていたのだ。

仕事が忙しい時期はチャートに張り付くことが出来ないので引き上げるルーティンになっていたのも良かった。JALが傾き、日銀が日本を何とか呼吸させていた。企業は統廃合を繰り返し、徐々にベースが生まれつつあった。

明らかにわかるのは、日本は持つ者と持たないものに別れつつあるということだ。どちらが幸せとかそうゆう話ではない。おそらく精神性の違いだと思う。持っているものは持たざる者よりも喧嘩をしない。ならば私は持つ者でありたい。

この世のすべての人間は金の亡者であると思う。あの日、御父さんと御母さんが怒っていたのを思い出す。なんども「なぜだろう?」と自問した。離婚しなければならないほど、私は酷いことをしてしまったのだろうか?単身赴任についていきたくないといったのは妻のほうではないか。

妻と私は婚活パーティで知り合ったので、共通の友人はいない。妻の考えを計ることは不可能だった。娘の為に、私は私の給料を忘れた。この時すでに数年が経過し、私の投資益は給料を上回っていた。

このまま、トマ子が20歳になるまでそのままでいるつもりだった。だが総務課の真鍋がやってきて「M&Aで取引先の銀行が変わります」と言う。なんてこったい、私は世界経済を見渡していたつもりだったが、自分の足元すらしらなかった。

幸い、人権無視の冷徹なコストカッターこと私の首はつながったままだった。むしろ「その手腕を東京で発揮してほしい」と言われたが断った。問題なのは振込先金融機関だ。しばらく連絡するか迷ったが、もう6年も顔を見ていない。なにか問題があれば言ってくるだろう。私は金融機関を変えた。

この時、ふと過去を思い出してしまった。トマ子、どうしているのだろう?「どうしたんですか?」と総務課の真鍋がこちらを覗き込む。リストラ請負人の私には社内に友人はいない。「娘のことを思い出した」となぜか話してしまった。

関係のない他人だからこそ、打ち明けられる話がある。私は家族のゴタゴタをこの真鍋に話してしまった。真鍋は「高橋さん!今日のみに行きましょう!」と私を引っ張る。「やだよ、リストラするぞ」「させません!」「なんでだよ」「今度の譲渡先企業を詳しく説明する必要があります!」「書類で頼む」「イヤです!今日居酒屋で話します」「情報漏洩とか大丈夫か?」「社内で知らないの高橋さんぐらいですから大丈夫です!」

仕事がらみと言うことで、シブシブ真鍋のアフターに付きあうことになる。クソ、ポジションを確認したいのに・・・真鍋にひっぱられて居酒屋で話していくうちに、どんどん心が溶けていく気がした。

「まあ、俺はつまり給料振込マシーンだな」

「なんで?月10万円で良いんでしょ?」

「それを認めたら離婚を認めることになっちゃうと思ったんだよ」

「それで6年も!?とっくに離婚しているんでしょ!」

「男のプライドってやつ?」

「生活はどうしてるんですか!?」

「まあ、なんとかやってるよ」

ボロボロと真鍋が泣いている。なんで、泣いてるんだ?「高橋さんがかわいそう」ばかやろう、こんなおっさんをかわいそうとか言うな。「だって、かわいそうなんだもん」お前はどうなんだ?彼氏とうまくやってるのか?セックスしてるか?「関係ないです」ああ、すまんセクハラだったな、じゃあ今夜はこれで。

レシートをもって立ち上がり、タクシーを呼んでもらった。真鍋の家は同じ方向だというから1台。先に俺のアパートに到着し「じゃ、これで帰れるか?」と5千円札を渡そうとしたら「私もおります」と家に乗り込んできた。オイオイ、これってセクハラじゃね?それから、真鍋は2度と家に帰らなかった。


金があれば幸せであるとは限らない。だが、争いごとや犯罪は金が無いから起こる。その意味で俺はトマ子の生活を心配していた。妻の実家「鏑木建設」は1人親方に毛が生えたような零細建設会社で、社長(御父さん)のプライドが邪魔をして割のいい仕事にありつけないようだった。

調べつくせる限りの情報を調べて、俺は鏑木建設のバランスシートを把握できるようになった。最悪の自転車操業だった。トマ子のこれからの人生が心配だ。猿しかいないような底辺公立中学に入れられたらどうしよう?

そんな心配をさらに重ねるように、新しい住人が家に入ったようだ。妻の兄。おそるべき事に、ネットでは変態四天王の1人「にゅーりん」として有名らしい。彼の情報は筒抜けで「今度、オンニャノコをライブチャット配信しちゃうよー」と発言するのを聞いて、暗い気持ちが湧いてきた。

トマ子がライブチャット上に現れた時の気持ちを察してほしい。ああ、かわいい俺の天使。その天使が、猿どもに見られている。こいつらを全員殺して回りたい。だが、そんなことをすればライブチャットは閉鎖になるだろう。

おれは慎重に監視を続けた。エロいことをやらせないように、にゅーりんに刑法とか児童福祉法とか青少年育成条例などをおしえてあげた。「同じ変態、仲良くやろうze!」と返信、アホだ。

「だから、そろそろヤバイかなって思ったんだ」

「通報したんですか?」

「ああ、中学生になったら脱がせると思った」

「もっと早くやっても良かったんでは・」

「娘を見ていたかった・・・」

「・・・会社に、連絡ありましたよ、元奥さんから」

「・・・そうか」

「探偵使いました、トマ子ちゃんには1円も行って無いですね」

「・・・・」

「今度職場の上司と不倫して蒸発したらしいですよ」

「だから、トマ子ちゃんの保護者である鏑木建設さんに月10万払うようにしますね」

「給料全部で良いよ」

「ダメですよ・・・自分の為に取っといてください」

鏑木は優秀な総務の人間だった。俺の法的保護者責任を盾に、元妻の責任をやんわりと追求し、鏑木建設の現状を調査した。電話で6年前の食い違いを説明すると「あいつはとんでもないヤロウだ!」と怒ったという。だが、給料を振り込みたいと伝えると話を聞いてくれたらしい。

御父さん、御母さんにとって俺はとんでもないヤロウになっていた。元妻がDVを俺から受けて、女遊びを毎晩やり、娘に性的な目を向けているということになっていたらしい。自分の娘が被害者になりたくてついたウソということを見抜けずに、そのままそっくり信じてしまった。そんなんだから、自分の会社が傾くのだ。バカヤロウ。

俺は真鍋とトマ子を迎えにいくスケジュールを立てていた。運命。そんなものを信じたことは無かったが、そんな話をしているときに玄関のチャイムが鳴って、本人が登場するって運命しかないだろ?それ以外、なにがあるっていうんだ。