モトハチ(元蜂の宿管理人のブログ)

閉鎖したライダーハウスの元管理人のブログです

小説の練習1:工場と麦、安心について

俺は麦がサララーっと吸い込まれていく様を見ていた。トラックが運んでくる麦は500㎏とか1トンとか半端ない量で、それらが専用の機械にごんごん吸い込まれていく。その光景はちょっとすごい、人生で1回は見ておいて損は無いと思う。小さな山だった麦が、アリ地獄のような凹みを作って小さくなっていき、やがてすべて消えてしまう。それが終わると次のトラックがやってきて、また山を作る。

「慣れてきたら飽きる、すぐに飽きるぞ」とそこにいた先輩は言った。「そっすか」「俺も最初は楽しかった、が、すぐに飽きた」「飽きますかねえ」「絶対飽きる」先輩と言っても1世代は年下の彼と話していた。意味のない会話。でも他に話題が無いから仕方がない。先輩の話せることは車と、パチスロと、風俗ぐらいだ。そのどれもが俺は興味が無い。もしあっても話さないだろう。なんといっても、話が盛り上がると仕事を後回しにしてしまう人だからだ。

工場では10人ぐらいのチームがいくつかのブースに分かれていて、全体で何人いるのか不明だ。俺のように3か月だけ働く人間も多く、難しい仕事も少ない。俺は初日で仕事を把握した。やることはトラックの誘導と掃除ぐらいで誰でもできる。現に高校を中退したと思われる男の子もいた。俺のようなおっさんと同じ給料で働いている。最年長は年齢不詳のおじさま。70歳に見えるが、歩く姿は力強い。農業系の仕事をしている人にはこんな人が多く、体の芯がとても強いのだ。

俺は春先まで小さな居酒屋を経営していた。1人で回せるような小さな店で、10人入れば息苦しさを感じるささやかな物だった。新卒で入った会社を辞めて始めた店だったが「すぐに潰れる」と言われ続けて10年持った。以外にも料理のセンスがあったのと、雰囲気がよかったからだろう。

10年もってしまったということは、10年分若さを失ったということになる。「脱サラした居酒屋なんてすぐに潰れるに決まってる」と言う人に「そっすよねー」とちゃらちゃらして答えていた俺は、マジでこんなに続くなんて考えていなかったのだ。本当にすぐに潰れると思っていた。そして、仕方ないからフリーターとかを死ぬまで続けるんだろうと自分の人生設計を考えていたのだ。

不思議なことに、居酒屋はささやかな黒字を吐き出し続け、俺は立派なおっさんになった。このまま死ぬまで居酒屋の主人を続けられるかしらん?と想像したところで、大家が英断を下したのだ。俺のような小さな店舗が集合した小さな都市の古い駅ビルだったが、破壊して新しいホテルを作るらしい。時代の流れだった。

その居酒屋のお客さんの1人にこの工場の社員がいた。俺は次の店舗を探すことなく、その人に電話を掛けたのだ。「店やんないの?」と言われたが「しばらくはいいっす」と答えた。ちょっとは運動しないといけない。カウンターから出て、広い世界を知らなければならないと思ったのだ。それに、良い物件が見つかる気がしない。

吸い込まれていく麦を眺めながら、俺はいままでの人生を振り返る。そして、これからの人生も考えた。旅行もしてみたいなあ・・彼女とか今から見つかるかなあ・・などと甘い妄想に耽っていたら、麦の山が小さくなり。そこから死体が出て来た。

「先輩!!」と呼ぶ。ただならぬ俺の声にやってきた先輩が息をのんだ。機械をストップさせて、伝言ゲームで上の人間が呼ばれてくる。「とにかく、麦をどけるべ」「いや、警察!」とやっと警察の事を思いついたころには、野次馬は30人以上いた。「本当に人か?」と誰かが言ったので、工場長が「確認!」と使いっパシリを動かす。

上に積もったわずかな麦を彼がほろうと、赤黒い人間の死体が出てきた。間違いなく人だ。でもどうしてこんなに腐食しているんだろう?「これ・・」とパシリ君が死体の胸を指さす。そこには封筒があった。「持って来い」と工場長が言う、えー!警察とか来てからの方が良いんじゃないっすかね?と思うが、まあ黙っとく。

封筒も赤茶けていて、明らかに血のような跡がある。それは素人目にも時間が経過しているのが分かって、ノリのようにぱりぱりにくっついていた。怖れを知らない男、工場長が封筒の中から紙を取り出す。工場長の怖ろしい顔がけわしく歪んだ。手紙はそこにいる全員に公開された。俺も読む、簡単な遺書だった。

「おれは、ここに、いるぞ

 死んでも、ずっと、いるぞ

 おまえの、そばに、いるぞ」

赤黒い死体を見る。腐って潰れた眼球が笑っているように見えた。

警察がやってきて、工員は別室に移動させられた。仕事に戻れる人間は戻る。俺たちのチーム10人が軟禁される。事情を聴かれたが「麦の中から現れた」としか答えられない。麦を持ってきた農家もやってきて、血の気が引いていた。

遺書を渡す。『勝手にいじらないでほしいんだけどなあ・・」という警察官も、文面を読んで止まる。すべてが異常すぎる。

1.遺書
2.発見場所
3.腐食

俺たちはこの3点について話し合った。警察官は「遺書があるなら自殺でしょ」と考えるのを止めたようだ。先輩は「麦による腐食が早まった説」を説いたが「なんで麦の中だと腐食が早まるんですか?」と聞いたら「いや、あったかいから?」とふんわりした答え。「なんで、麦の中なんすかね?」「それは、何かわかる」「何すか?」「飛び込みたくなるじゃん」「ああ、それはそうかも」実際、麦の山にはわんぱくな少年時代を思い起こさせる安心感のようなものがあるのだ。遊びたくなる。「じゃあ、遊んでいるうちに死んじゃったとか?」「それじゃあ、遺書の説明がつかない」「あれって遺書?」「恨んでいたよね」「しかも地縛霊宣言」「Bさんはどう思います?」と一番のベテランである70歳ぐらいの工員に先輩が話を振った。

「隣の農家だ」「え?」「あそこの隣にMって農家があるべ、あそこに聞けばわかる」「どうゆうことっすか?」「そいつの仕業だ」「なんで知ってるんすか?」「そうゆうヤツだからだ」

Bさんの話をよーく聞いていくと、どうやら全体がつかめて来た。これはつまりいやがらせで、畑の境界線でよくもめごとを起こすMという農家がやった事であると。「んじゃ、Mさんが死体をテレポートさせたんすか?」と先輩が言う。「アホ、ホイールローダーあればできるべ」「あ、そうか」「除雪に必要だからみんな持ってる」「じゃ、死体は?どっからもってきたの?」「それはしらん」「そこ大事っしょー」とみんなで笑う。

だんだん深夜のテンションになってきて、死体を見たショックも薄れてきたのだろう。コーヒーを飲みながら、ワイワイ話す。こんな雰囲気もいいなあって思った。俺はずっと一人でやってきたから、こんな雰囲気にあこがれていたのかもしれない。カウンター越しに話すのは、やはり仕事で、こんな感じのワイワイ感を感じてはいけなかった。

「あのう、ひょっとしてですけど・・・」とアウトドアガイドをやっていたTくんが手を上げた。「お!なんかあるの?」「いや、ここって観光地じゃないですか」「来た!名探偵!」「いやいや、マジでこんな考え方もって話ですけど」「よーし、皆注目!」とTくんの説を聞く。それはかなり信憑性が高く、全員が納得するものだった。

「縁切り死」というワードを初めて知ったのだが、世の中には自殺する場所を選ぶ際に「まったく関係のない場所で死にたい」と願う人がいるらしい。自分には関係のない綺麗な場所で、自分の事を知らない人ばかりの土地で死にたい。その気持ちはよくわからないが「俺、数年前に見たんすよ」とTくんは言う。「お客さんガイドしているときに、あ、なんかひっかかってんなーって思ったら首吊り死体で、お客さんは悲鳴を上げるし、警察よばなきゃだし、大変だったんです」「へー」「で、その人ってか死体ですけど、身元が分かったら教えてくれってお願いしたんす、だって気分悪いじゃないですか、なんであんなところで死んだんかわかんないって怖いっすもん」「で、分かったの?」「友達が警察にいて、教えてくれたんですけど、マジで関係のない人だったんです。オレ、何で?って友達に聞いたら『縁切り死って知ってるか』って教えてくれたんす。ググりましたよ、したらNHKのクロ現のページが出てきて、あ!これかあ!ってなったんす」

皆でスマホをいじり「えんきりし」と検索する。「なんでそんなことするかなー?」「わっかんねー」「切りたい縁があるんじゃねえの」「お前なんか分かる?」俺の名前を呼ばれた「わかんないっす、なんで俺っすか?」「いや、居酒屋潰れて、自殺するんじゃねえの?ってみんな噂してたから」「マジっすか、俺自殺しないですよ」「デカい借金抱えて流れてくるヤツって結構いるから」「借金ないです、貯金も無いけど。それに借金するやつって意外としぶといですよ」

俺の評判はそんなんだったのかと知った。自殺なんてしないし、するやつの気持ちはわからんけど、自殺したいヤツに見られてたんだなあ・・・なんとなく、皆との距離が近くなった気がした。

例えば先輩。先輩は地元出身で、家族を自殺で亡くしている。「俺も妹が吊っててよー」と笑いながら話すのが先輩らしいと思った。最年少のSくんは「縁切り死って俺気持ちわかるっす」と言う。彼はいじめられっ子で、かついじめを容認する地元の閉そく感が死ぬほど嫌いで「全部燃やしてしまいたかった」と言う。ここで働いて車を買って東京に行くのだと言った。「バカいえ、東京じゃ車いらねえぞ」と最年長のBさん。職員時代はド派手に遊びまくって、東京の女を抱きまくっていたらしい。「でも、若いのが死ぬのはいつになってもキツイなあ」と遠い目をする。アウトドアガイドのTくんも、ガイドツアーをやる会社に勤めていたときに、同僚を事故で亡くしていた。「あ、俺も死にたかった」と手を上げた同い年のAさんは、会社員時代に鬱で電車に身投げ寸前だったらしい。皆、死でつながっている。

「え、じゃあ、あれは縁切り死をした人ってこと?」とAさんがまとめに入る。「いや、そうかもしれないって話っすよ」とTくん。「じゃあ、なんであんなに腐ってたんっすかね?」と俺。「わかんねー」「やっぱりタイムトラベラーっすよ」「あるかー」「ねえよ」とワイワイしてたら「Mってヤツはそうゆうヤツだ」とSさんが〆た。

「いつから死んでるか知らんけど、死体を自分の畑とか山で見つけて「使える」って思ったんだべ。死にたてだったら血がでてっから麦に入れてもすぐわかる。ミイラになってたら出てくる体液もすくねえから麦が吸収しちまうべ。そしたら、その麦はもうダメだ」

「つまり・・・」と俺が聞いた。「隣の農家の評判を落とすためってことっすか?」「Mならやりかねん」「じゃあ、遺書も?」「たぶんな、あいつらしい手口だと思う」「これ、警察に言った方がいいんじゃないっすかね」「言わんでいい、すぐわかる」

どのタイミングかはわからないが、死体をホイールローダーにのっけて隣の家のトラックにぶち込むのは目立つ。それを自然にできるのは近隣農家だけだろう。「機械とか貸し合うからな」とSさん。これですべてに納得のいく説明ができる。

1.遺書はMが用意した。死体が隣の農家へのいたずらや風評被害になるから。
2.発見場所が麦の中なのは、隣の農家の麦をダメにするため。
3.死体が腐っていたのは体液が抜けるのを待っていたから。

「でも、ちょっと信じらんないっすね。いたずらでここまでやりますかね?」と最年少のSくんが言った。俺は「やると思う」と答えた。Sくんはまだ知らない。人間の恨みというのは、とんでもなく深く冷たいのだ。俺はそれをカウンターの中から10年間見て来た。

人間の恨みは人間関係となって現れる。人間関係がどうしようもなくなった時。すべてを放り出したくなり、いままで培ってきた物、積み重ねて来た経験をすべて捨てて、逃げ出したくなるものだ。それほど、人間の恨みは強い。誰かに恨まれたら、正気を保っていられないほどに。

死体を放り込まれた農家も、Mという農家も、そしてあの死体も。誰かに恨まれたりしたんじゃないだろうか。縁切り死だってしたくなるのかもしれない。そんな暗い気持ちとは程遠い我々は、「おい、お前が死ぬときはここで死ぬなよ、縁切り死でやれよ」という冗談が飛び交っていた。皆、とてつもなく軽い。死体になった人も、ここに来ればよかったのに。

縁を切るまでは賛成だ。そこまででよかったのだ。と思った。