刃物が好きだ。博物館にある刀剣類を見ると、訳も分からず「ほおー」っとなる。
そして、恥ずかしいほどに中二病全開なんだけど、自分のイメージだけの刃物があったりする。それは、右手の中指と人差し指の間にあって、手裏剣の1羽のような大きさ。それを、イメージの中でシュルシュルまわしたりする。
なんで、こんな刃物をイメージしているのか分からない。10年以上、こんなことはなかった。つまり、前回は郵便局で働いていたころ。一番ストレスが高まっていた時期。そんな時に、こんな刃物をイメージして通勤していた。
それは妖しい日本刀で、さやに納まっている。さやは妖しい装飾が施された、どこか洋風なもので、それを手でつかんで、刃物を抜いたとき、ゆらゆらと炎のようなものが見えたりする。
中二病だ。でも、ひょっとしたらこれは、自分の心が必要だから生み出したのかもしれないと感じた。なぜなら、今、この指に挟まっている小さな刃物からは、妖しさがないからだ。
つまり、ストレスのはけ口として、刃物をイメージしているのだと思った。少年が見えない銃を撃ちまくるように、イメージの刃物で何かと戦っている証拠と考えられる。ストレスかな?最初はそう考えた。
が、やっぱり違う。今はそんなにストレスは抱えていない。日本刀が出てきたときは、保険の営業ノルマで苦しんでいて、イメージの日本刀で死ぬことばかり考えていた。いまは、そんなストレスはない。
じゃあ、なんだろう?しばらく考えて、ああ!と思う。承認欲求ではないだろうか?保険の営業時代は、仕事ができる人間になりたくて仕方なかった。いまも、もっと仕事ができるようになるため、頑張っている。
認められたいのだ。ライダーハウスをやっていて出なかったのは、ストレスではなく認められていたから。認められる分、お金になるから。今の仕事ではなにもできないまま、立ち尽くすことがしょっちゅうある。
まだ、認められたいのか?とあきれた。まあ、そうかもしれない。それにしても、小さくなったのだと思った。イメージの刃物を指の間でクルクルまわしながら、そう思った。