出勤するとリーダーが「見てみて!」と動画を見せてくれた。ぐわんぐわん揺れる、工場の蛍光灯だった。揺れているのはその蛍光灯だけ。風が通っているわけでもない。「ひさしぶりに揺れたよー」と何故か嬉しそうだった。
実は、この蛍光灯が揺れる現象。1年前ぐらいまではよく起こっていたらしい。それが久しぶりに現れたのだ。「だけど、ちょっと場所が違うんだよねー」とリーダーは蛍光灯を指差した。前、揺れていたのは隣の蛍光灯で、今回と異なる。
この蛍光灯が揺れるのが、工場のなんらかの物理現象だとしたら、同じ箇所が揺れているはずだ。「ってことは、やっぱりアレですよね」と言う。パッと考えられることは、先日設置し直した捧鎮の御札。その位置が間違っていると思われるのだ。
時系列
整理してみる。
そもそもの始まりは、この工場で努めていた人の奥さん。出産間際まで働いていた旦那を退勤させ、奥さんのもとに向かわせた。奥さんはこの工場の特徴を言い当てた。見える人だったのだ。
「一番高い場所に守り神がいる、朝には5人のおばさんが見える」ということ。それいらい、5人の見えないおばさん伝説は語り継がれる。「悪い物じゃないから、大丈夫」ということで安心。
蛍光灯が揺れる現象は時折起こっていて、まあ、ここの名物のようなものだったらしい。その蛍光灯は、守り神のいるといわれた一番高い場所の近くにある。
蛍光灯が揺れなくなった時期と、御札が落っこちた時期は不明。だけど、両者の時期は重なっている。「いつの間にか揺れなくなった」と言っていた。御札は落っこちたのを、そこら辺の壁に立てかけて忘れられていた。
つい先日まで、そこに御札はあった。関係ないかもしれないが、その間に労務災害が起きている。
御札を「あったと思われる」場所に戻した。ついでに、御札たてを作った。御札に書かれていた神様は6柱。「でも、場所が違うんじゃないですかね?」という話になる。北側の壁に設置したのだけど、元は東側にあったんじゃないか?とのことだ。神棚は東から南に向かって設置されるのが普通。
そして、再び蛍光灯が揺れた。以前と違う蛍光灯なのは、御札の位置が違うからじゃない?と推測してみる。マジだ。
自分がそんな心霊現象とかオカルトを信じるとは思わなかった。が、つながりが自然すぎる。ただ、どんなに考えようとも、考える材料がない。奉鎮の神様の名前だけではなあ・・・
知識ゼロからの神道入門を読んだ
図書館で神道の本を借りて読む。おもしろい。なにがおもしろいって、神道の懐の広さだ。「北海道まで神道はつうようしないんじゃないの?」と思っていたけど、そもそも奉鎮祭って「名前はしらないけど、ここにいる神様、よろしくお願いします」っていうことらしいのだ。
つまり、ここにいるのがカムイでも、オホーツク文化人の神でもいいのだ。御札に書かれていたのは産土の神だったけど、それは我々大和民族が持ってきただけのこと。さすが八百万の神。
氏神システムもおもしろい。かつては一族で祀っていた氏神も、人間の動きが流動的になるにつれ形を代えていった。つまり、今そこにいる人たちで神様を祀っていくのだ。毎年、人間が入れ替わる工場でも、同じ神様を祀っていい。
つまり神道とは、「目に見えない世界を人間に分かりやすく翻訳するツール」と言えるんじゃないだろうか。この工場にいるのが、どんな神様でもいい。御札に書かれていたのが、神道の神様でもいい。御札を媒体にして、祀ればいいと思うのだ。
大切なのは、気持ちだ。目に見えない存在を大切にするってことを忘れてはいけない。